南十字星輝くバリよ

2024年05月19日

しばらくぶりでございます。

先日まで、初めてのバリに行っておりました。ここで何回も「ハワイ愛」を語った私ですが

昨今の物価の上昇と円安のダブルパンチを見て、それでもハワイに行こうとは思いません。

旅先で、お札を数えながら食事するのはいやです。

ラーメン3000円なんて、もうぼったくりとしか思えない。

でも、折角コロナが終わって、どっか行きたい・・と触手を伸ばして選んだのがバリです。

 

息子の友人が度々訪れており、その方にいろいろお聞きして決めました。

それからの毎日は楽しかったです。

ビザや観光税やのいろいろな雑事は家人が七転八倒しながらしますし、grabとかいう東南アジアの

アプリで呼び出すタクシーの準備も用意万端。

成田からですから、前泊です。

その成田でお友達になったのがYYさん。

コロラドに40年お住まいで、日本橋生まれの日本橋育ちなのだそうです。

日本の親戚と古いお友達に会いに二週間来て帰るところという事でした。この彼女と意気投合。

ライン交換する仲になっちゃいました。

そんなこんなで翌朝便の成田発。

その日の夕方にはデンパサール空港に着きます。空港の正式名はンからはじまる現地語の

なんやら言いにくい言葉なので、私は専らデンパサール空港と言っております。

ビザは前もってネットでとっているので、なんの問題もなくバス。

関税の前もパス・・あれれ・・・れれれ

 

なぜか私だけ呼び止められ、閻魔様のような管理官の前に連れていかれ、背負ったリュックを

下ろせと命じられ、開けられ、中の財布まであけられ、じっと見つめられ・・

そして解放されました。

(ちっ・・たったこれだけかよ。態度だけは金持ちそうにふるまいやがって)なんて心の声が聞こえた

気がしたのは、ビンボー人の僻みというやつでしょうか。

ま、こんなアクシデントもありましたが、バリは楽しかったです。

心配していた食べ物も、見かけよりは数倍美味しいです。特に海老、蟹、魚のシーフードの

旨い事。そして、お安い・・これ大事です。

初日のクタのレストラン・・有名店らしいのですが・・そこで食べた魚介をラインにあげると

「そんないっぱい誰が喰うの」「何人分」との返信が来たくらいの量なんですが三人でアルコールも

もち付きまくりで9000円(日本価格)

参考までに、海老の甘辛味の炭火焼。白身魚のから揚げのなんとかソース添え(これがびりりと旨い)

笹の葉みたいのに包んだもち米。牡蠣の焼き物。空心菜の炒め物。ナシゴレン2皿に

ビンタンビールが三本。トロピカルジュースが二杯。

もちろん食べきれず、通訳兼ドライバーの〇ァン氏に持って帰ってもらいました。

 

私達は当然この旅をたのしみまくりました。

ただ、この旅日記をここで書くと、延々と続くので、いつものようにそれは別建てにしております。

ご希望の方がもしいるならば、お申し出ください。

ジジとババがいかにバリを楽しんだかが、延々と綴られた旅行記がお手元に届きます。

そんなの誰が読みたいのよと、家人はクールです。こんな時だけ。ふふふ。その

旅行記には、パニくって落ち込んだ自分の姿も赤裸々に描かれてあるので、厭なのでしょうね。きっと。

 

で、私はなんのためにそんなものを、毎度綴るのかというと、足腰が弱ったり、満足に動けなくなった時に

思い出に浸る為にです。

自分の行ったところを、そのままイメージの中で、何度も辿るためです。

年を重ねて、日々体の機能は衰え、足腰もおぼつかなくなった時に、私の傍にいるのは思い出です。

楽しかったこと、厭なこと(これはたぶん思い出しません。そういう性格なのです)などの

思い出に浸るために、そのツールを今作っておくのです。

自分の老後の楽しみは、自分で作っておこうということですね。

どうせ、人が作ったものはダメだしばっかりするんでしょと家人は言いますが、

何もしない人間が、何をする人間に口出しするなと私思います。

無駄であっても、意味などなくても、今このときにそうしようとおもうことを私は

したいのです。

そしてそれができる自分が。ちょっと誇らしいです。。。

 

 

 


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