八月の行事
オリンピックが終わって、日本はお盆真っ最中なのですが、ちよっと前から地震が続き
「南海トラフなんやら」警報が出て、この時期の台風が突然東北に押し寄せて、なんやら
古い洗濯機の中に放り込まれて、攪拌されているような日々が続いております。
それでなくとも、八月はいろいろな行事が多くて、案外忙しい。
そう考えてみると、夏休みという制度は理にかなっているかとも思えます。
原爆記念日からお盆までの間は「生と死」を考え、教えるには最適です。
その上、今年は地震や思いがけない地への台風上陸と、天地自然について考えるのにも
よい機会となりました。
ひところは、昔に比べて戦争特集が少なくなったとか、平和教育の足らずを嘆いたりして
いましたが、それも世の流れ。かくいう私も「戦争を知らない世代」ではあります。
ただ、それは時の流れと共に、当然のことで、戦争体験者の体験談は確かにとても貴重で
代えがたい真実の重みを感じますが、知らないモノは知らないモノで語れる戦争があると
いうことにも、そろそろ気付かねばなりませんね。
それは、語り部の継承とかの個人的思想の結果でなくても、見逃し仕舞った歴史的真実とか
証言は身の回りにあるはずです。
私の手元には「ひろしま」というタイトルの映画のDVDがあります。
1953年に日教組が作った映画です。被爆した広島の少年少女の手記集を原作にしている半
ドキュメント様に作られてる映画ですが、私が見た戦争映画の中でこれが一番「作られた感」の
ない映画と感じられるものです。
戦争映画には、他にも名作と言われるものは多々ありますが、私の中ではこれが№1です。
日教組が作ったというのがネックなのかどうかは知りませんが、これが案外世に知られていないのは
とても残念です。
私もこれを見たのは近年のことです。そのリアリティ溢れる映像と、淡々と語られるその日の
現実に言葉を失います。
ラストシーンは賛否両論であろうかと思いますが、私は私の次の世代、その次の世代には
ぜひ見せたいと思っています。
あまりのリアリティに年齢は考えないといけないでしょうが、でもトラウマになりそうな
そんな映像でなくて、どうして戦争の事実が伝えられますか。
広島や長崎の原爆資料館の展示は年とともに緩やかに穏やかになり、平和を訴えるには
それでよいかもしれませんが、戦争への怒りや理不尽な死への烈しい怒りはその分薄まって
いくように思えます。
昔、息子に言われました。
「子供時代に広島、長崎の原爆記念館に行って、無理やり展示物みせられたから、しばらくは
トラウマになって、一人になるのが怖かった。ここで原爆が落ちたら自分もこうなるんだと
思ったら、途中で気持ちが悪くなった」と言われたことがあります。
小学二年生には過酷だったかもしれませんが、戦争の真実の一端を見せてやったような気がしました。
綺麗事だけではない真実に目を背けてはいけません。
ましてや親たるもの、誤魔化すなんてもってのほかです。
もちろん今は一人で記念館に行って「なんだかマイルドになって、悲惨さが伝わらない気がするわ」と
言っておりましたから、私の教育は満更的外れではなかったかと、数十年たって答えがでたようです。
そんなことを考えながら、年々静かになっていくお盆を、蝉の声に紛れながら過ごしていくのも
なかなか悪くはありません。
でも、今夜は「ひろしま」を何年ぶりかでみておこうと思います。
感想を語り合うには、なんとももの足りない相手しかいないことが残念ですが、それもまたよしと。
人はそれぞれに自分に見合った方法で、過去や歴史を辿るものなのでしょうね。。。