身内の死
数々の揉め事の中心にいた義叔父が亡くなりました。
叔父と言っても、私の父の妹の連れ合いですから、もう90才はとっくに過ぎております。
若くて元気なころは、ちよっとした色男で客商売もしていましたから話も上手で、
幼気な子供だった時代は好きなおじちゃんでしたが、その後私が大人になるにつれ
親にも夫にも向かない人間であることが少しづづ判ってきました。
お酒こそ飲みませんでしたが、ギャンブルで散々妻子を泣かせ、ちょっとした色男が
災いしてその筋の揉め事も晩年まで続きました。
何度か「離婚したいと」父に相談に来た若き頃の叔母に「親が離婚したら子供がどんなに苦労
するかお前もよく知ってるやろ」と翻意させたのは、父の事なかれ主義のなせる罪です。
大人になってその話を知った従弟は「子供のために我慢したなどとは言われたくない。俺らも
何度離婚してくれと母親に頼んだことか」と言っておりましたから、夫婦には夫婦の
切れない絆らしきものがあったのでしょう。
それもこれも、今となっては過去の話ではありますが、それまでにした忍耐と苦労を
考えると「昔の話やったけどね」と、このひと時に許せるほど、私の心は広くはありません。
ただ、従弟は自分の母親の死後、この父親の介護をしていましたが、諸々の葛藤に
身悶えするような日々を送っていました。
私のところで、延々と愚痴を吐露したこともあります。
そんな息子であっても、父の訃報に泣くのです。
「あんな親でも・・」と言葉を詰まらせるのです。
彼を責めはしませんが、ここで許せるのならもっと早く許しておきなさいよと
私は言いたいです。たぶんいつか言うでしょうけど・・
この最期の一瞬で泣いてやるほどのことなら、ああまで悪し様に父親を貶めることは
するなと言いたいですね。
そう・・私にはそれができないのです。
執念深いとも形容されますが、そういうことを忘れらない。もうないことに・・なんて会話は
私にはないのです。
恐ろしいわ・・と家人は言います。気の毒だ・・と知人は言います。
どうぞお構いなく。私は人に対してこういうスタンスですから、自分も人に評価されようとは
思いません。いい人と思われたら負け・・ぐらいに思っています。
なんとも面倒な性格とは思いますが、今更もう変えようとも変えたいとも思いません。
これで私は、私らしく生きて死ぬかと思えば、判りやすい指針です。
身内の死に対峙するたびに、いろいろな事が思い浮かびます。
さて、自分はどうするかを考える良い機会です。。。