今更ですが。
今日は私の誕生日です。
そうなんです。血も涙もない私にも人並みに「誕生日」はあるのです。
可愛げのない子だった私はよく母から「橋の下で拾ってきた」と今では児童虐待みたいな
言葉を投げかけられたものです。
その都度私は「ならそのまま拾わないでいてくれたらもっといい人に拾われたかも」なんて
負けないくらい酷いセリフで応対していましたから、ま、似た者同士ではあります。
こんな私ですから、娘に「毒親」と言われようが、家人に「冷血非道」と言われようが
別に痛くも痒くもありません。
むしろ、負け犬の遠吠えとせせら笑っております。
・・ホントに「憎まれっ子世に憚る」とはよく言ったもの。もしかして私不死?
世間さまはよく言いますよね。「いい人ほど早死にする」と。
そんな歪な死生観を見返すのも誕生日だからこそでしょうか。
もう父も母もとうに亡くなり兄弟もいない私には子供時代の私を知る人は限られています。
どんな子供だったかは、誰も知る由がないのをいいことに、自分の思うような願うような
子供であったと吹聴するのは簡単なのですが、それをしないのがへそ曲がりのへそ曲がりたる
所以です。
いつのころからか、誕生日を待ちわびる高揚感はなくなり、プレゼントもケーキも
ともすれば切れがちになって、思い返すことはこんなことばかりです。
前夫を亡くしてから、私は死ぬことが怖くなくなりました。
人は死ぬということが、現実であるということを見てしまったからではないかと思います。
ただ、苦しいのや痛いのは嫌ですね。それはできるだけ避けたい。
こんな話をすると家人は「そんな話している人はなかなか死なないよ」と言いますが
私の前夫は、私がテレビで夫の葬儀に泣き崩れる妻のシーンを見ながら
「私より先に死なないでよ。先に死なれたらあなたの両親に私何言われるか判らない」
と訴えた時、
自信いっぱいに「判った。そんな苦労はさせない」と、言い切った者ですが、嘘でしたね。
そんなことを思い出す誕生日はやっぱりあんまり嬉しくはないです。
今日は夏の暑い一日でいいです。。。