八月のイベント

2025年08月15日

今日は八月十五日。今年は八十回目の敗戦記念日です。

世間は「終戦記念日」と呼びますが、私にはどうしても「敗戦」としか呼びかけられ

ないのです。

八月は戦争とお盆と夏祭りと花火・・これがどっと押し寄せてくる季節です。

ですから夏休みとはいえ、案外忙しい。

不謹慎ながら、八月六日の広島原爆記念日の式典を見る度に、これからあっという間に

終わってしまう夏休みが名残惜しくて、不貞腐れていた子供時代もありました。

 

私の子供時代はもっと戦争が近かったので、普段は無口な父親も、夜スイカを食べながら

「あの時は・・」と話出しそうにすると、母が忙しなげにスイカのヘタを集めながら

「お父さんは戦闘経験なしで満州から帰ってきたんよね。保護兵やったし、私は

空襲で逃げ回って、そりゃあえらい目にあったわ」と、父親の尊厳もプライドも平気で

踏みにじるようなことを言うのです。

苦虫を嚙み潰したような父を尻目に、あの時がどんなに恐ろしかったかを語る母の声音は

まるで稲川淳一さん・・。

本当に緊張感も畏敬もない家だったと思います。こんな家に育ったから、私こんな大人に

なってしまったのですね。。(自業自得という声もあります。)

 

でも、時の流れは今まで見えなかったものや、できなかった検証を見せてくれて、今年の

私は夜遅くまで、録画したNHKスペシャルの虜です。

自慢するわけではありませんが・・いや結果は自慢になるのですが・・子供時代から本をむさぼり

読んでいた私は、戦争文学のノンフィクションも紀行文も戦記も手記も物語も、数え切れないほど

読んでいます。そのひとつひとつが検証されるように、ああ、あれはこうだったのかとか、

こういうことなのでああなったのかと、改めて感じさせられることが多くあります。

なので、視聴は一人でみたいのです。

 

歴史オンチの家人と一緒だと、ことごとくに「え、あれはどういうこと?」

「なんで、こうなったの?」とうるさい。

そして、まるで幼児に教え諭すように、それまでの流れを掻き口説かなければなりません。

もうそれはいやです。

まだ若い人たちに、その発想の手がかりとして話をするのはいくらでもします。

でも、今まで、もうこんな酒で半分マヒした脳に何度も語りかけた私の努力が泣きます。

私は、私の歴史観になかで新しい事実を味わい楽しみたい。

これが、また長男が相手だと、歴史観の齟齬をお互いが語り始めると終わらないので

視聴ができなくなるのです。

 

なので、今は一人で静かに視たい・・

被害者としての日本と同じ重みで加害者としての日本も見ていたい。

ナガサキやヒロシマを忘れないように南京事件もより深く知っておきたい。

後世の県民に特別のご高配をと打電した大田司令官の願いは聞き入れられたのかと

問いかけながら見てみたい。

こんなおババは、ちょっとメンドクサイかもね・・とは思うこともあります(笑)。。。

 

 


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