生まれ育ち

2019年12月16日

私は照明家の「石井幹子」氏を密かに敬愛しています。

別に隠し立てすることではないのですが、氏はエッフェル塔や大阪城、横浜ベイブリッジなど国内外を問わず

ライトアップという技術を華麗に広めておいでです。

しかも、失礼ながらお歳を召してもますます盛んに精力的に仕事をこなしておられる姿は、働く女の鑑です。

と、思っていました。実際その存在を知ったのは20年近く前で、当時60才をすぎた氏が、これからの展望を語る

新聞記事を拝読して、「なんて素敵な年の取り方なのだろう」と憧れたものでした。

 

その石井氏の半生が読売新聞の「時代の証言者」に連載されています。今日で三回目です。

これを見て「生まれ育ちの差」というものを、改めて痛感いたしました。

ご両親双方のご実家は「銀行家」でお父様は東京帝国大学のご出身で敷地2000坪の家に生まれたそうです。

ここまで読んで、その華麗な出生に生まれながらの歴然とした差に圧倒されて、羨望なんて中途半端な意識ではなく

完全に圧倒されてしまいました。

 

生まれに貴賤はないとよく言われますが、確かに貴賤はないでしょうが、生まれ育った環境で、最も基本的で根源的な

自分という人間の幹はできると思います。

もちろん何にでも例外はありますが、氏のような家庭環境と、今の朝ドラのキミちゃんのような家庭環境で育つのとでは

生き方や物の見方、幹になる性格の造成が違ってくると思います。

 

あさましい言い方で気恥ずかしいのですが、「こういう家に生まれて育ったら、光の美しさや自然の豊かさを

芸術的に感じられるかもしれない」と思います。

でも、明日のお米に困る生活をしていれば「光はもったいない消費だけのものですし、自然は食を得る糧に

しか見えなくても、それはありでしょう」と納得せざるをえません。

 

決して石井氏がどうのこうのと言っているわけではないのですが、なんだか生まれながらの「差」を急に

突き付けられたような気がしました。それは、決して同氏のせいでもなんでもないのですけれどもね。

 

自分がそうでなかったように、親としての自分は子にこういう意識を少しでも植え付けられることができたか。

そう思ったら、自分の非力に情けなくなりそうです。

日本に差別はないけれど、世界はひとつというけれど、この歴然とした事実を「差」と受け止める私の心が

あまりに狭すぎるのでしょうか。貧しすぎるのでしょうか。

一度、ゆっくりと東京駅のイルミネーションを眺めていることができたら、こんなちっぽけな愚痴は「つまらない

話」と笑っていられるようになるのでしょうか。

魔女相談員、まだまだ修行が足りませぬ。。。

 

 


フリーダイヤル 0120-039-242