振り返れば。

2020年02月06日

ここにブログを掲載するようになってから、自分の個人日記が疎かになりはじめ、今年に

入ってからと言うもの、まだ1月半ばでぐすぐずしているという有様。

私は書くことが嫌いでも億劫でもないタイプの人間だと思っておりますが、年と共に

許容の範囲がだんだん狭くなっているのは事実です。それに伴って、できることできないことの

割合も反転してしまったような気がすることも事実です。

 

それでも、どうやれば100パーセントの力で仕事ができるか。それを考えるのは現代を

生きるじじばばの仕事です。

これから先の世の中どうなっているかと想像するとうすら寒くなってきます。

 

多くの力仕事はロボットが。知的作業はAIが、となってしまったら、その世界に生きる

人間の若者はいったい何をするのでしょうか。

何ができるのでしょうか?

なんだか、殆どのもう「若手」とはいえない世代の我々の子たちが、自分の公的年金で

壮年期にかかった自分の子供らを部屋に囲い込んで、食べ物をせっせと運び、

日常の生活支援をする姿が目に浮かびます。

 

働かざる者は食うべからず。。まさしくその通りです。働かざる者は食べてはいけないのです。

今はこんなことを言うと、世間の顰蹙を一斉に浴びる時代になってきましたけれど、

これは人が生きることの根源です。

いい悪いを論う前に、この言葉の本当の意味を知りましょう。

これは神様の摂理に従うことだと私は思っています。

 

すばらしい医学技術の発展で平均寿命は画期的に伸び、なかなか死なない世界は

私たちに何をもたらしたでしょうか。

病気になったら一巻の終わりだった時代は、それほど苛烈だったでしょうか。

人が生きて死ぬまでの間を、物質的な豊かさだけでなく、精神的な安らぎと安定を加えて

数値化したら、今の時代の老人は昔の老人よりも、そんなに多くの幸せを

得ているのでしょうか。

 

人はそれぞれ、自分の年や知力能力体力に応じて、死ぬまで働かないといけない

生き物だと私は思っていますから、日々惑い葛藤し、悪あがきもします。

それが生きることだと思っていますから、私の人生に子供に食べ物を運ぶ時代は

もうきません。それは彼らがまだ一人で生きていけない時だけのものであったと

思っています。。。


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