永遠の親であるために。

2020年02月10日

いくつになっても子育てというものは難解です。ゼロ歳児にはゼロ歳児の、10歳児には10歳児の

悩みや迷いがあり、30歳になってもそれはあるのです。

ただ子供が30歳になったら、もうそれは子育てとは言わないだろうとは思いますが、昨今の

社会情勢を見たら、やっぱり「子育て」かなと振り向いてしまったりもするのです。

 

先日もある建築屋の営業さんと話をしていましたら、「今頃の若いのは、だめですよ。

ちっとも仕事が続かない。給料が1万でも高いと聞けばすぐにそっちに移るから

技術の獲得ということなんて望むべくもない」と言うのです。

将来のことより、目先のお金。

人より一時間でも休みたい。一日でも多く休日が欲しい。これが仕事を選ぶ

基準でそこで大成しょうとか、一人前になるために努力しょうとか、辛抱なんて

もう古代語ですよと、その方は嘆いておられました。

 

確かに今時の人ほど「辛抱」なんて言葉が似合わない人種はいないでしょう。

今再放送の「おしん」なんて見ても、何かなんやらどこがいいのか理解できない輩ばかり

でしょうとは思います。

でも、それもこれも思い返せば、私ら世代の躾の「つけ」です。

私ら躾が悪かったのか、間違っていたのか。

なにが「褒めて伸ばす」なのよと私が吠えたら、家人は今はそういうものよと言いますが

人は叱られて、悲しなったり悔しかったりすればするほど、褒められた気持ちが増幅するのです。

叱られた経験のない人間を誉めても、なんの感激もあるはずがありません。

それを知らずして、ほめてほめて 褒めちぎったあげくがこの不良人間の大量生産です。

 

耐性がないくせに、匿名だと人のことを徹底的に攻撃する。私の子供時代はこういう

やつのことをみんなバカにしていました。

カゲで悪口言う人間なんて、それがばれたら誰も相手にされないことが

判っているので、そんなことはしません。したとしても、そうそうに辞めます。

 

そう自分のしたことの結果が想像できないのですよね。

 

それは夫婦関係にも言えます。

自分が夫婦の信頼関係を壊したら、妻はどうするか。子供はどうなるか。

自分の社会節且はどうなるか?

そういう未来予想図が全く描けないのです。

これ、いまブログを書き綴る私が言うのもなんですけど、ネット社会の弊害ですよ。

想像しなくなったのは。

自分でしなくても、ちょいちょいと情報いれたら、機械がかってにシュミレーションして

くれて、それが想像の全部と思い込んでしまう底の浅はかさ。

 

こんな子供たちをぽろぽろと世に出してしまった責任は私ら世代が負うべきものでしょうね。

さて、どうやって責任を果たすか。なかなかに苦しく難しい問題です。。。

 

 

 

 

 


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