天邪鬼
こんなご時世なのに、今日のニュースによると今年のGWの国内旅行はご盛況なんだそうですね。
もうクルーズは怖いって話をちらほら聞いたりしているのは私だけ?
世の中の流れに逆らっているのは私だけ?
と、叫びたいような気もするのですが、よくよく考えてみたら私っていつもそうでした。
人の流れに乗るということが、そもそも嫌いなのです。
右といわれりゃ左。左といわれりゃなぜ?と問い返して「天邪鬼」の罵られた子供時代。
親はバシバシ叩いていましたね。子供のことを。
それが世間では普通で、子供を叩かない親はむしろ躾をしないと陰口叩かれてましたね。
もしくは「やんごとなきお方やからな」なんて嫌味な陰口かのどちらかでした。
それがなんと現代では、親が子を叩くことは「悪」と決めつけられるのです。
叩かない教育。それはプロの教育家が考えればいいのです。
悪いことをしたら叩く。叩くことで子供は痛い思いを知り、無茶と遊びの境目を体感する
ようになるのです。
自分が痛い目をしていない子供が他人の痛みが判るはずがないでしょう。
もちろん私は親を恨みましたよ。時にはこちらに何の落ち度もないのに叩かれたこともありました。
そんな時のことはまだ忘れません。このぶんではたぶん死ぬまで忘れないでしょう。
叩かれたことを愛だなんて、甘い少女漫画みたいな展開はないのです。
愛のムチなんて、熱血少年野球漫画みたいな゜こともないのです。
叩かれれば恨みにも思いますし、悔しければ忘れもしません。
でも、それでいいのではないですか。世の中にはなんにでも裏があれば表がある。
厭なことの反対は楽しいことでしょ。厭なことがあるから楽しい気持ちワクワク度が増すんじゃない
ですか。だから、恨みやつらみにもそれなりの意味はあるのです。
判っていますよ。体罰の延長に「虐待」や「いじめ」があることは。
でも、だからと言ってひとくくりに体罰は悪と糾弾して、ここまでが「許容」なんて線引きする
政府も黙って聞いている社会もなんか間違ってませんかね。
これっても羹に懲りてなますを吹くってことわざどおりの行為じゃないですか?
虐待もいじめも、もちろん許されるべきものではないですが、それを根絶しょうとしたり、
なくそうとすることは、決して悪いことではない。意味のないことでもない。
ただ、その方法はこれでいいのかと・・・天邪鬼ばば は、思うのです。。。