わがまま宣言

2020年03月11日

かつて「自己責任」なる言葉が流行ったことがありましたね。

国が「ダメだ」と禁止している国に、人道支援だと称してのこのこ行って

人質に取られて、いくらかは知りませんが大枚の身代金を国が払って解放された

あの、人たちのことが話題になった年です。

 

そして、その反動のように「自己責任」という言葉が、非情ではないか、それは

国の責任を棚上げする代名詞ではないかと言われ始めました。

 

でも、自己責任はとても大切で重たい言葉だと思いますが、この言葉を無視して

社会を生きることは不可能です。

大人と言われるようになったら、この自己責任の下で、決めていかなければならないことは

山のようにあります。

 

今もその時です。政府の発表がさらに10日間の延長ということになったら、自分はどうするか。

それは、自分で決めねばなりません。

そのまま従って、自粛生活を継続するのか、それとも反発するのか、または自分のできる範囲を

少しづづためしてみるのか・・・。

これは一歩間違えば、他人を、しかも大勢の他人を巻き込む話ですから、軽々に論ずる

訳にはいきませんが、自己責任というのはこういうときにこそ、その力を発揮するのでは

ないでしょうか。

 

今回のコロナ禍で、個人的に自分にできることは、まず手洗いと消毒です。それと

あればマスクですよね。

マスクに関しては、政府の声明がでたことが奏してか、ネットでもマスクがちらほら

出ていますし、近所のドラッグストアにも、少しづづですが目に見えているようになっています。

 

この自己責任を果たして、なるべく人混みを避けるとかの自助努力と、現実の経済生活の

落し処をどこにするか、それを考えねばならない時期に来ているのではないかと思います。

できない最低限の人の倫理に合わせれば、日本中はコロナに汚染されてしまうでしょう。

でも、衛生倫理観の高い人に合わせれば、日本の経済活動は早暁、破綻します。

どちらを選ぶかと問われても、答えようがないでしょう。

 

ならば、私は私の選んだ方法で生きていたいです。

自分の果たす最低限の手段を施したなら、あとはこれまでの知識と経験と道徳で

選んで決めてすごしていきたいです。

それでもしコロナに罹患したとしても、誰も恨まない。誰かに罹患させたとしても

事実として受け止める。そうして、少しづつでも、もとの社会生活に戻りたいです。

 

このままでは、コロナは封じ込められても、新薬を購入するお金どころか収入の道もなく

社会保険も壊滅して医療機関にもかかれず、貧困のうちに社会や政治を恨みながら死ぬ

くらいなら、政府のいいなりに「右え倣え」と暮らすのは、お断りです。

片田舎の、へそ曲がりおばばの言い草ですが、残り少ない余生を私は、私で考えて決めて

生きていたいです。。。

 


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