社会の親として
テレビのニュースがそうであるように、何かものを言おうとしたら、コロナのことを避けて通るわけには
いきません。それほど彼らは私たちの中に深く広く侵入して、私たちの日常を喰いつくしていっているのでしょう。
名もなき多くのウィルスが、嬉々として人間の内部を喰いつくす・・リアルホラー映画です。
しかし、こう長きにわたると、とても初歩的な疑問がふつふつと湧いてくるのです。
今日あたりは、感染の軽い人はどこかの施設や宿泊所に隔離してもらいましょうなんとことが
話されていました。
私的なことながら、うちの息子も東京で一人暮らしです。
幸いなことに、彼は仕事を持っていますから、何日も無断欠勤していたら、まずは会社がなんらかの
アクションを起こしてくれることでしょう。・・と、私は信じていますが。
でも、東京には仕事も持たず、たった一人で暮らしている人は、それこそ数え切れないくらいいる
はずですよね。
特に孤老は田舎の比ではないはず、その彼らが感染して動けなくなって、もっと進んで一人で亡くなっていても
誰も知らない。こんなことが今はないのでしょうか。
これから先はありますよ。きっとあります。絶対ありますよ。
ワイドショーも政府も「初期は自宅ですごしてください」と簡単に言いますが、一人暮らしはどうすりゃいいの?
お店にも行けず、誰からの差し入れもなく、手当もされず、死を待つのみですか?
そして学校もGW明けまでお休みが延長しましたが、子供のストレス以前に、あれだけあった虐待児が増えるという
想像はつきませんか?
この休校措置は、虐待児にとっては地獄の延長でしょう。
普通の親子関係であっても、子供がずっと家にいるのがストレスとアンケートに答えているのです。
日常的に虐待してい親はさもありなんでしょう。
家人に「この延長は虐待児にとって二度目の死刑宣告かもね。」と言うと、
「いじめにあってる子には幸運の鐘だね」と言います。
なるほど、それも一理ありますが、どちらが幸せかということになると、それは、まだいじめの方かもと
いうことで一致しています。
いじめには、学校に行かないという選択が残されているけれど、虐待児に家に帰らないという選択はないのです。
こんな地球規模の厄災の中で、それまで言えば何もできないではないかというご意見はごもっともです。
でも、こんなに日々、四六時中、学校が再開だとか、みんなで集まるのはやめようとか、給付金がどうとかは言うものの
そういう子らへのコメントが、私の知る限りまったく聞かれないのです。
私たちがコロナに罹って死ぬ前に、虐待児が先に不幸せな死を迎えても、それは仕方のないことですか?
私にはもう手を掛けなければならない子供はおりません。
だからこそ、こんな時には広い意味の社会の子を見つめてみたいのです。
学校の再開の準備の前に、一度くらいは、そういう状況の確認があってもいいのではないかと思いますよ。
それでは遅くなると仰る方がいるでしょうが、そんな時間は今までの、出遅れに鑑みればいかほどのものでしょう。
それよりも、より多くの子供たちのためにと、決めた施策が、ひとりの子の命を奪ったとしたら、そのことを
後悔する大人に私はなりたいです。
自分の子育てが終わった今は、そういう親になりたいと心から思います。。。