まだ見ぬ君たちへ
コロナウィルス禍がいつ終息するのかしないのか判りませんが、こんな
片田舎にもひたひたと押し寄せてきているのは確かです。
まるで真綿で首を締めるという言葉の通り、じわじわと迫っています。
もしかしたら、これはもう世紀末・・と、思ったりもしますが、反面私はこの時期に
生きていることを僥倖かもと思うこともあるのです。
とても不謹慎な言い方で、ちょっと面はゆいのですが・・・
私はいわゆる「戦争をしらない世代」で、親の戦争体験を聞いたり、聞かなかったりの
子供時代をすごしました。
今になって思えば、もう少し気をいれて聞いておくのだったと、深い反省はあります。
空襲を体験した母の話は、繰り返し繰り返し同じことばかり。でも、今なら判りますがそれが
どれほど心に深く残っているかと言うことなのですよね。
私の母には当時の秘密があります。
それは、私には明かしていません。母が亡くなり、父も亡くなり、戸籍を見てはじめて判ったことです。
私は今更、あえてそれを知ろうとは思いませんが、それが終戦当時の出来事なので、つい
そのことと戦争を結び付けてしまうのです。
そして母の従兄はシベリア抑留兵でした。
戦死の公報とカランカランと音のする遺骨箱を開けてみたら「牡丹江にて戦死」の紙切れ一枚と
石礫がひとつ。それだけだったと母は言います。
気が強く、わがままで、私にそっくり(?)と、皆が言う母ですが、その時は寂しそうでした。
三才上の私の父と同級生だったそうです。
こんな話を切れ切れに聞いて、今になってもっとしっかり聞いておけばよかったと後悔している
自分のことを考えたら、今のこのコロナ騒動を、私なりに後世の私の子孫たちに残してやるべきではないかと
思うのです。
今世紀ではもうないかもしれませんが、二度とないとは言えないことを私たちは今、身を持ってしりました。
学術的なことできなく、政策的なことでもなく、私たちが今ここで何を考え、政府や世間や世界の何と
計って比べているのか。
どう考えているのか、それを今を生きる証人として私の子孫たちに残しておいてやりたいと思っています。
役に立たなくても、鼻で笑われても、こんなことがあったと語られる材料があることは、幸せなのかもしれません。
今は、出口の見えない時でも、だからこそその先のために今の記憶を残しておきたいのです。
幸いなことに、私は書くという行為が全く苦になりません。手紙を書くのに半日も悪戦苦闘している家人を見ると
「あほか・・」と冷笑するタイプです。
この世紀の体験を書き残さずして死するのは勿体ないです。
覚えているうちに、このさなかにいるうちにそれに手を染めようと思ったら、なんだか
この災禍も否定的ばかりではないなと思い始めています。
災いはいつか転じる時がくることを、これだけ生きていれば体験的に何度も経験しています。
「いまだかつてない・・」なんてフレーズは使い古されて、そう、なにものにも新しいことは訪れるのです。
見たことも聞いたこともないことはやってくるのです。
でも、それもいつかはそれぞれの中に「経験」という名に替わって生かされていくのです。
私はそう信じています。
だから、これを残しておきたいのです。
まだ見ぬ、私たちの子孫のために、私たちの体験記として。。。