へそ曲がりでごめんなさい。

2020年05月29日

少しづつでも日常を取り戻している感はあります。

それでも、学校が教室半分で再開されたり、飲食店が一席おきの配置になったり

並んでごはんを食べましょう。とか、相手との距離を2メートル開けましょうとか

生徒の落とした消しゴムは拾っちゃダメ? とか、中にはなんとも言えないような

指示が飛び交っているようです。

 

そして今になって、授業料の払えない大学生。育休中に会社が倒産した若い母親。

派遣切りの不幸。接客業の混迷と毎日ワイドショーで流されます。

もちろん、みなさん思ってもみない不幸にどうしていいやら判らず

日々手探りのことなのでしょう。

それはよくわかります。

でも、その「嘆き」をそのまま垂れ流すマスコミはどういう気持ちなんでしょう。

最後は必ず「頑張ってください。」とコメンテーターは括り、がんばれなんて言わないで

私たちは十分頑張ってるなんて逆ギレみたいな反感買ったりしてますよね。

 

でも、こうなることは「自粛」という名のもとに、経済活動をストップした時点で

予測できたことです。多くの人が予測して、それでもと踏み切った自粛です。

もちろん、日々「今日は感染が何人」と報道し続けたマスコミもこうなることは

承知であったはずです。

 

今現在困っている人を「自己責任」と責めるつもりではありません。

でも失礼ながら、学費に困っているとテレビで訴える女性の大学の学費が

200万だったり、ピアノの部屋で「結婚式の伴奏のアルバイトがなくなって」と

訴えられても、申し訳ないことに私にはちっとも(いや、少しはですけど・・)

お気の毒と共感できないのです。

 

本当に困っている人は別にいる。明日のごはんに困っている人が

これを見たらどう思うのだろう。一人暮らしの無職の人間が

通帳残高三桁でこれを見たらどう思うかと考えると、正直あまり

共感しないのです。

ずっと前の派遣切りの「炊き出し」のころから漠然と感じていたのですが

弱いもののレベルがぐーんと上がってきているような気がします。

 

私たちの世代は「困っている人」は、本当に明日のお米もない。買い置きのものなど

ひとつもないという子が、クラスには必ずいました。

サイズのぶかぶかの制服を着て、あかぎれの手から血を流しながら、汚い雑巾バケツに

手を突っ込んで洗っていたC子ちゃんの姿はいまだに忘れられません。

私たちはそれを平気で見ていたのです。

彼女がどんな思いで痛みをこらえ、雑巾を絞っていたか知りながら

誰一人代わってあげようという者はいませんでした。

恥ずかしながら私もその一人です。

朝ごはんを食べて来ていないことも知っていました。

給食の時に、誰もが敬遠する脱脂粉乳のミルクを彼女はじつに美味しそうに

飲み干していました。

 

日本中が、今よりずっと貧しかったことは確かですが、そんな貧困を子供時代に

目の当たりに見ると、いまテレビに映りこむ「貧困」がどこか

嘘っぽく感じられるのです。

 

もちろんこれは私の私感です。

もともとへそ曲がりの魔女おばばですから、思考に偏りがあることは

自覚しております。

でも、時に「こんな時代にあの子みたいな子はまだいるのだろうか。

いたとしたら、どうやって生きているのだろうか」と、過去の自分を

今の自分が責めながら問うてみるのです。

私の個人的な過去の反省が、いまの「困っている人々」の描写に斜を

かけてしまうのです。

本当に困ったものです。この性格。

もうたぶん死ぬまで治ることはないでしょうが。。。

 

 

 

 


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