追憶の日

2020年06月30日

念願だった写真の整理をやっと終えました。

先週の土日をつかって、自分のもの、両親のもの、亡夫のものと衣裳ケース

三個分のアルバムを捲って、選り分け剥がしてフイルムと台紙を分けてと

体力的には大変な作業でした。

いつかはしたいと願い、やらなければと決心し、やっと今日のことです。

 

我が家は亡夫が写真好きで結婚してからのものが山ほどあります。

子供が幼稚園頃にホームビデオを購入して、一時そちらに嵌まったこともあって

VHSのビデオは、眼もくらむほどありました。

それを、後夫となる家人が、選別してセレクトしてくれたものの、なにしろ今VHSを

映す機械がありません。

いくつか残ったテープは我が家の三階の隠し物入れのどこかに収まっていること

でしょう。

 

そしてこの写真の山。。。さすがに家人は「これにはオレ手が付けられない」と

言いますし、それも尤も。ここは私が処分するしかないと、ずっと思い続けて

おりました。

私はもともと「捨てる人」ですから、そうと決めたら躊躇はないのです。

よく整理した居たらなつかしくなって、あれやこれやと考えて結局片付かなかったと

いう方の声をききますが、私も人の子、懐かしくは思いますが、それと

これとは別。手はさっさと廃棄の籠に動きます。

 

そして自画自賛ながらわが記憶の確かなこと(笑)

何年前の物でも、ほぼここがどこで、何時で、誰で、何をしていたと

思い出すことができます。

自分の小学校の修学旅行の夜ごはんのシーンではメニューの一部も

蘇りました。

・・そこまでいくと執念深さが怖いわと家人には恐れられておりますが・・

 

そんなこんなでありながら、亡夫が私よりずっと先に本場のディズニーランドや

ユニバーサルスタジオに行っていることに理不尽に怒り、そして誘われたのに

仕事が捨てられずに断ったのが自分であったことに気付き、今更ながら

「わがままな嫁であった」と、少しだけ反省しております。

 

やっと片付けが終わって一息ついたところに、たまたま息子からの電話。

コロナ禍のまっただなかの新宿に職場を持ち、ナンバー2の北海道に出張というのが

仕事ですから、電話のたびに「陽性連絡かっ。」と思うのですが、幸か不幸かそのような

ことはいまだなく、ただのご機嫌伺であることが多いのですが。

その息子にちょうどいいと思い、写真の整理の話をしますと

「なんで片付けるのよ。そんなのはね、残された人の楽しみにとっておく

もんよ。」と言うのです。

 

なんとウエットな奴。奴はこんなキャラだったのか・・・

「そんなこと言っても、私が処分しなかったら誰がこの写真、処理するのよ」

「だから本人じゃなくて、次や次の代よ。」

 

この会話を聞いた家人が

「それもそうやないない?」と言い出し、写真捨てるの待とうかと言います。

そう言われれば、是が非でやりたくなるのが私という人間なのです。

翌日、取り分けたすべての写真を粛々とシュレッダーにかけました。

僅かの時間で、私の今までの目に見える歴史は粉々になりました。

 

でも、私は後悔なんてなにもありません。

私の歴史は私の中にあればそれでよいのです。子や孫にすべて伝えたいとは

思いません。いいとこだけ知っていてくれたらいいです(笑)

もしすべて知りたいのなら、それはあなた方の力で調べなさいと

言っております。

私は命尽きるまで私でありたい。・・で、それはいつ?(カゲの声)。。。

 

 

 

 

 

 

 


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