アクターの死

2020年07月22日

先日テレビを見ていたら、速報のテロップがビビッとなり「俳優の

三浦春馬さんが自殺」の報が流れてびっくり。

私は彼のファンだったりお知り合いだったりなんてことはもちろんない

のですが、テレビではよくお見掛けしていました。

爽やかで顎の下の黒子が優し気な人ですよね。

それからはテレビで流れる彼の追悼コメントは「ストイック」

「すごく真面目」というものばかり。

そうなんでしょう。お見受けするそのままの真面目で正直な

方なんだろうとは思います。

でも、昨日、なんの番組だったか出ていらした、名もない(いやもしかしたら

かなり有名で私が知らないだけかもしれませんが・・)コメンテーターさんが

「彼のことをみんながストイックとか真面目とか褒めちぎっていますけど、

確かに彼はそうなんでしょうけど、そういう番組見て自殺を考えている

若い人たちが、あぁ死んだら自分もああやって褒めてもらえるんだ、悪いことには

触れられないんだと思ったらどうなんでしょうかね。やっぱり彼のやったことは

よくないこと・・なんじゃないでしょうかね。」と言っていました。

 

私もその通りだと思います。

三浦さんが真面目に仕事に取組み生きてきたことはよく判りました。

でもそんなに正直に生きてきた彼でさえ、こんな方法を取らなければ

ならなかったという理由を、詳しく披露せよとは言いませんが

ある程度はどこかのテレビが匂わせてもいいのではないかと思います。

それは死者に鞭打つことではありません。

 

テレビに出ていたことで、広く世の中に名前と存在を知られた人の

責任ではないかと思うのです。

真面目なだけでは生きられない現実と、そうであってはならない理想を

いま生死を迷う若い人たちに投げかけてあげることが大人の責任ではないかと

思うのです。

いつの時代もきれいなだけでは生きられない世の中なのに、最近は特に

見たくないものに蓋をして聞きたくないものに耳を塞いで

誰かが誰かを中傷したら、みんながそれを真似て、それを「空気を読む」とか

「読まない」とか別の言葉で言い換えて・・・

 

私は市井のおばばですが、こういう欺瞞が大嫌いです。この性格でずいぶん

損もしてきましたが、空気読めなくて上等。

もう先もそう長くはないので(いや100年は生きるだろうと周りは嫌がって

おりますが・・)空気読めなくても、さほど支障はありません。

空気を読みながら固い見えない檻で生きるか、読まないままの孤独死を

選ぶかと言われでもれば、もちろん後者です。後者しかないです。

 

私が死んだら、三浦さんほど人からは慰められないでしょうが、

私は十分幸せです。生を生き尽くす。それだけで十分に幸せです。

 

でも若くて才能のあるアクターの死は悼んでも悼みきれないです。

時よ戻れ・・人がままならないことをまた願ってしまいました。。。

 

 


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