トロッコ問題

2019年09月30日

今朝、何気にPCを開いたら「トロッコ問題」が目に入りました。なんでも、ある小学校で道徳の時間にこれを取り上げたら、父兄の一部が、まだそんな問題は早い。かわいそうではないかとクレームをつけてきたそうです。

うーん。そうなのか? 本当にかわいそうなのか?

へそ曲がりの魔女相談員は、この記事に朝から喰らいついてしまったのです。

ご存じとは思いますが、かいつまんで言えば、自分はトロッコに乗っている。そのままいけば先には五人の人間が線路に転がされており

轢いてしまうだろう。しかし手前にはポイントがあり切り替えればその先の線路には一人が転がっている。切り替えられるのは自分だけ。

その時に、あなたならどちらを選ぶかという問題ですね。

もちろん、朝食時に家人に問い詰めました。長い思考と余計な言い訳のあとで「やっぱりポイント変えるかな」と、ぽっり。

娘にも聞いてみました。追い詰められて「後者!」と叫び、歯医者さんの診察室に消えていきました。

これには、当然ながら「正解」というものはありません。

どちらを選ぶにせよ。それは各々の倫理観と死生観の行きつくところということでしょう。

小学生にこれを教えることは酷ですか?

家人はまだ早いやろ?と、言います。

そうなのでしょうか。これには正解はないのです。次の時に選ぶのが逆であってもそれでもいいのです。

でも、いつもこうしてぎりぎりの選択をするには、自分の中で何を持って、自分の何で測って、自分の頭で心でどう決めるか

そういうシュミレーションを小学生からしておくことは、決して早いとは私は思わないのです。

万が一や、とっさの場合、緊急時というのは、年齢の如何、環境にかかわらず突然にやってきます。

小学生も大人も年寄りもありません。その時に、自分がどう処するかを考えておくことは、必要なことではないでしょうか?

ましてや、日本はいま「天災のデパート」みたいな状況です。いつ災害が身に降りかかるかわからないのです。

できるかできないかというより、その時自分がどうするか。それをシュミレーションしておくことは、とても大切なことだと私は思います。

はい? トロッコ問題の私の回答ですか?

まだ、お伝えしていなかったのですね。

私はできるなら、そのトロッコから飛び降ります。何もしないで目の前の五人が死ぬか、自分の手で一人の命を奪うかは、私には選べませんので、私はその場から退場します。その方法として飛び降りることを選びます。

昔、三浦綾子さんの《塩狩峠》を読んだときに、純粋に感動した若き日の私は、本音と建て前を自由に操る大人になりました。

これを堕落と呼ぶか、成熟と呼ぶかは、まだ判りませんが、肩から力が抜けてすごく自由になったような気がするのは事実です。

純粋に生きるというのは、本当に肩の凝るものなのですね。

 

 

 

 

 


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