内容のない映画評論

2020年11月24日

コロナがまたまた騒然とし始めた秋の三連休に、久々映画に行ってまいりました。

イオンシネマということで、かの「鬼滅の刃」で騒然としているのかと案じながらも

行ってみるとそう混雑している風には見えません。

私は、もちろん鬼滅の刃ではなく「罪の声」を鑑賞するつもりです。

 

原作はかなり前に読んでおりましたので、どんな風に脚色しているかも

楽しみのひとつです。

映画はよかったです。本当に判りやすく、しかも原作に忠実に作ってなおかつ面白い。

翻せば、これは脚本が素晴らしいということでしょう。

一つ置いた席で鑑賞している家人も寝ていないようで、これはかなり面白いという

評価だろうと推察しました。

前回の時はポップコーンの販売がなく、寂しい鑑賞だったという家人の

膝の上にはSサイズとはいえ、子供の頭よりは大きなポップコーンの箱が

しっかり抱かれ、私たちの映画ライフも少しづづ元に戻っているようです。

 

座席は相変わらず、ひとつ空けての配置で、隣の人とひそひそと話すことも

物理的にできませんし、前の人の頭や帽子が邪魔になることもありません。

しかも、今回私が特に感じ入ったのは、映画が終わってからでした。

 

 

映画館で鑑賞する方はよくご承知と思いますが、本編が終わってエンドロールに

なるとそそくさと席をたつ方がおられます。

これ誰かがはじめると、つられるように何人も席を立つのです。

 

しかし、私は、エンドロールも最後までしっかり楽しむ派なのです。

茨城フイルムコミッションも、協賛店の名前も、ラストの監督名までしっかり見て、

館内に灯りがともってから席を立ちたい派なのです。

映画がよくても悪くても・・・

それが映画の余韻だと思っている派なのです。

なのに、なまじ通路側などに席を取ると、前述の人たちがぞろぞろと

私の前を通り過ぎようとします。

足を少々踏まれたり、スカートの上にポップコーンの残り粒を落としたりするくらいは

おおめにみましょう。

でも、その人影に邪魔されたときにもエンドロールは進んでいて、

あの場所はどこだったのか?

あの衣装ははやっぱり〇〇だったのね

などという私の楽しみの何割かは見逃してしまうのです。

 

緊急にトイレ事情が迫っているようならともかく、なんでそんなに急ぐのか

理解に苦しみます。

 

そして今回です。

座席に対してほぼ半分の観客の殆どの方が、じっとエンドロールを楽しんで

いらっしゃるのです。

あのTAILOR SONEのあった場所はどこだったのか。

テーラーなのに、Durbanが協賛してるの? などと楽しんで(・・いたかどうかは

不明ですが)いるのです。私のように・・(笑)

すごくゆったりとした、穏やかな時間でした。

これが映画の余韻です。

終わって半券もってジュースの割引受けながら話をするより・・

(自分も恩恵を受けたことはありますが・・)

もっと豊かな時間が流れているような気がしませんか。

 

エンドロールも終わって、画面が暗くなって、館内の灯りが点ったら

「罪の声」は終わるのです。。。

 

 

 

 


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