帰省のリスク

2020年12月23日

コロナ感染が止まりません。毎日のその数字の多さに驚愕する人と、辟易する人とが

いるでしょうね。もちろん私は後者です。ちなみに「へきへき」は変換できませんでした。

こんな時、機械は無力です。密かに「勝った!」と小さくガッツポーズとる私も

小さい人間ですが・・・。

 

コロナが蔓延してもう一年です。この間に「自粛」だの「三密回避」だの、

行動規制だのと、政府はいろいろなことを私たちに求め、お願いという名の

「強要」を強いてきました。

こんな未曽有のパンデミックです。施策が後手後手に回るのも、仕方のないことは

判ります。結果が施策を評価するのでしょう。

これは誰にも判らない。

台湾などほんの一部の国しか、コロナ征服に成功していないのですが、

我が国だけが無為無策ということはないでしょう。

ま、本当の征服は、検査と治療薬と予防薬が完成して、自由に行使できるように

なった時を言うのでしょうけれどもね。。

でも、その時は世界の経済はどうなっているのか。それで本当の征服と言えるのかとか

いろいろな問題は差し迫っていますけれどもね。

 

それにしても、コロナ禍を煽るマスコミ。それに押し切られるように、施策を

ずるずると後退させる政府。これって、従わなければなりません?

 

我が家にも東京に息子がおります。当然、今年は帰省をしておりません。

年末年始も帰りません。

でも、つい二週間ほど前までは、帰省するという方向も考えていました。

もちろん彼が帰省するというなら、私たちは周囲にそのことを知らせ、他の人とは

接触しないようにします。

帰ってからも、二週間はその必要があると思っていました。

息子が帰るときの感染リスクを親が負うのは、当たり前ですがそれ以外の人に

伝染してはならないと思ったからです。

 

でも、結局は帰省はやめました。

帰ってきてもどこにも行くな。誰とも会うな。食事はマスクしてしゃべるな。

これなら、帰る意味がありません。

帰省は家族に会いに帰るのですが、黙って顔見て帰るというものではありません。

触れて、話して、笑って、交えてという行為があるからそれぞれに

帰省するのです。

なので、それをしてはいけないというのなら、「マスクして手洗いして自分で

予防するなら帰るという選択もあります」なんて、中途半端なことは言うなと

言いたいです。

結局、このセリフは、自己責任なのだから、帰って伝染ったり、伝染されたりしたら、あなたのせいよと

知らん顔するための伏線なのではないかと、疑心暗鬼にかかるように仕向けているのかと

思うばかりです。

ならば、いっそ「帰省はするな。したいなら届け出をだして許可を得てからにしろ」くらい

言って自分の言葉ら責任持ったらどうですかね。

責任云々を言うと「じゃお前は、責任とれるのかっ」と必ず突っ込む方がいます。

そしてそういう方は、決して自分で責任は取らない主義の方です。

 

私は、責任の取り方というものに決まりはないと思っています。

自分で自分の負えるだけの責任を取ればいいのです。過大なものを背負う必要は

ないのです。ましてや、そのために命を賭けるなんて論外です。

でも、責任転嫁のニュアンスをプンプンさせて、どこから攻撃されても

逃げられるように組み立てた説諭は、全く力をなしません。

 

自分も責任を負うから「こうしてほしい」と、真摯に訴える政治家がいたら、

私はそれがどんなことであっても、今なら支持します。

それが、結果をなさなくても、破滅的行為になったとしても、座して口先で

言葉を弄んでいる人たちよりは、ずっと誠実であろうと思いますし、

信頼という言葉を捧げてもよいと思っています。

 

この状況がいつまで続くかは判りませんが、もうそろそろ政府広報を鵜呑みにせず

数字に一喜一憂せず、明日の事、一年先のこと、十年先のことの思考を巡らせても

いいのではないでしょうか。

今日がなければ明日は来ませんが、自分を取り戻すために明日を犠牲にすることも

時には必要なのではないでしょうか。

 

そしてその時は、もちろん私たち世代が、その礎になる覚悟です。

人はそうやって、いままでの歴史を作ってきたのではありませんか。

立ち上がれ!  名もなきジジババたちよ。

・・・・・・・・・と、叫んだ自分の声で目覚めたら気分はよかったです(笑)。。。

 

 

 

 


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