順番は大切ですよね。
それにしても、いつ尽きるともしれないコロナ話題。
明日の見えないコロナかな・・なんて一句誰かが捻りそうな気もします。
今日も、あの不安を煽るの得意ですの某ワイドショーがワクチン接種について
これからのタイムテーブルを得意げに開陳していましたが、それを見てふと・・
魔女おばばは考えたのです。
東京のどこそこが何月何日に、その次は東京のあそこここが何月何日に。
そしてずーっと経って、地方にはこの日から接種が始まるようです・・と
流れるこの説明の違和感を、肌で感じたのです。
なんで東京が先なの?
いつもいつも、高齢者が重症化します。みなさん帰省をやめましょう。
若いあなたが接触することでお年寄りの命が危険に晒されていますと報道して
るではないですか?
医療機関が大変でこのままでは受け入れられなくなりますと報道しているじゃないですか。
そして究極は、このワクチンも十分ではないのですなんて煽っているじゃないですか。
ならば、最優先は過疎地のお年寄りを先にしたらどうです?
所謂、限界集落と呼ばれ医師も医療機関もない処に、暮らすお年寄りを
まず一番に接種対象としてみる案はひとつもなかったのでしょうか。
確かに田舎は、東京に比べると感染者数は少ないですが、罹れば東京の人たちのように
保健所が来たり、療養手段のホテルがあるわけでもなく、病院すらないのです。
しかも、過疎地ですから、発見されるのも遅い。もしかしたらその少ないお年寄りが
全滅してもしばらくは発見されないかもしれないのです。
なにしろ、接触はなるべく避けましょうと言っているのですから・・
こんな時こそ、そういう医療困難地域のお年寄りを最優先にすべきではないですか?
緊急事態宣言をもっと延長すべきと答えている、意識高い系の方々には、バックに
数多の医療機関がついているのです。たとえそれが満床になったとしても、入れ物はある
のです。待っていればいつかは入れます。多少順番を抜かされたとしても。
でも、過疎地はもともとその入れ物がないのです。
罹患すれば誰にも知られないままに息絶える危険がそれぞれの家にあるのです。
ワクチンのお知らせを受けたら、誰かの車か公共交通機関をつかってそこまで行けて
接種できる地域にいる人たちとは環境条件が違うのです。
ワクチン総量が足りないというのなら、東京やめたらどれだけの都道府県の
ワクチン接種が進むだろうねとつぶやく家人の横顔を、久しぶりに敬意をこめて
みました。
東京が憎いわけでも、嫌いな訳でもありません。
むしろ、大好きです。あの喧騒と華やかさは生きる希望を貰えると
思っています。
でも、こんな全国的な、全世界的なことになったら情報にしても、
選択にしてもなんでも東京からというのが腑に落ちないのは、田舎者の性ですかね。
本当にお年寄りを大切に思っているのなら、愛の溢れる世の中をなんて
もし本気で思っているのなら、どこから手をつけるべきか、どこを見るべきなのかを
もう一度考えてはみませんか。
いつかは、終息するでしょうけれども、どんな終わり方をするかは
来るべき次のアクシデントに備えるためにも大切なことなのではないでしょうか。。。
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