東京国立博物館
恨み節満載の前回ブログを私らしいと納得しながらのGWも後半に入りました。
去年と同様に、自粛の中でのGWですから、面白くもなんともありません。
幸か不幸がお休みに入る前に、ちよっとしたトラブルがあって、お休みどころで
なくなったのも、今になって思えば諦めがついてよかったのかも。
人間塞翁が馬・・禍福は糾える縄の如し・・などなど古の賢人はよく言ったものです。
これも幸いと開き直って、今日は朝から撮りためていた「東京国立博物館150年の
歴史」をゆっくりと鑑賞することにしました。
東京には何度も行きましたが、恥ずかしながら私はまだ同館に足を踏み入れたことは
ないのです。
昔、京都の国立博物館にツタンカーメン展に行ったのが最初で、今の処最期です。
あれは人で溢れてすごかった。広大な博物館の広い庭を入場を待ち焦がれる人の波が
ぞわぞわと虫のように揺れて。あれ以来ちょっとトラウマ気味になっていたようです。
それから幾星霜・・
改めて見た「東京国立博物館」は凄かった。
その臓物品も、建物も、管理も、出典もすごかったの一言です。
かつて社会科の本で見た縄文土器から、長谷川等伯の屏風絵、浮世絵
それらがほぼ2週間ごとに入れ替わりで展示されるのだそうです。
ナビゲーターの一人、ヤマザキマリ氏が「ここに来ればなんでも
見れるじゃないですか。何も世界中にいかなくても。」と言った言葉に
深く同感しますね。
同氏のナビゲーションは自説語りが多すぎて、しかも自分中心位置でカメラワークの
邪魔にはなるわで、あまり好感は持てませんが・・・
かつて私は、故宮博物館に行きたくて、行きたくて堪らず、やっと行けた時は
感激もひとしおでしたが、溢れる中国人見物客に押され、有名な白菜の陶器を
存分に楽しむ時間もなく、おみやげのストラップで憂さをはらしたことが
馬鹿らしく思えてきました。
この日本の至宝を前にすると、「灯台下暗し」という言葉が深い戒めのように
心に突き刺さります。
メトロポリタン美術館やエルミタージュ美術館にも行きたいと公言
しておりましたが、今日からはちよっと意見が変わりそうです。
今はどこよりも先に、ここに行きたいです。
ですが・・今ここは「近くても届かない場所」なのですよね。
今頃東京に行くといえば、それは絶対に非国民扱いですよ。
ま、それも時間の問題とは思っていますが、なにしろ一寸先は闇。
人間いつどうなるやら判りません。
そう思いつつ、見終えたビデオをしっかりとDVDに収めたことでした。
これで今から夕飯の支度なんて、世俗的なことさえなかったら、
優雅な余韻で1日が終えられたのですが、そうそう都合よくはいきません。
人間は一人だけの顔では生きられないのです。
今からは、一応「主婦」のように勤めを果たさなければなりません。
「趣味でごはんつくってますと公言してるのにぃ?」
「今日のお昼、弁当買いに行ったのボクだよね?」
こんな言葉を今吐く家人の「自称優しいボク」
とはどんなものなのでしょうね。。。