覚悟と長湯の間
先日のことです。入浴中に流るラジオの声に(私は朝風呂派でしかも浴室内にラジオ
放送が流れるようにしています。ちなみに毎日放送のファンです。)ちょっと気になる
事がありました。
みなさんも知る人は知っている、かの浜村淳氏の「ありがとう浜村淳です」の
放送中のことです。
性同一性障害で男性から女性に転換した人が、今同棲中の女性との間に、自分の凍結精子で
子供を作りたいと言うのです。
今は女性同士として暮らす彼女らにはもちろん生物学的に子供を作ることはできないので
その上の選択と決断でしょうが・・・
ちょっと待て!と思わず声が出そうになりました。
今時こんなことを言えば世間のご批判を雨や嵐とお受けすることを覚悟で申しますが
この申し出はあまりに身勝手ではないでしょうか。
この元男性が、ご自分の性別の食い違いに悩まれて厭われてご苦労されたことは想像が
つきます。
しかし、女性としての体と身分を得たいと望んだからには、何故ご自分の
精子を凍結しておく必要があったのでしょうか。
世間から認められなかった場合とか、お相手の方と結ばれなかった場合とか
術後の結果が悪かった場合とかの保険ですか?
それとも、私などが決して及びもつかないようなお悩みとご深慮の結果ですか?
いずれにしても、生まれ持った性別を変えてでも生きようと決心したほどの方の
行いとは思えないのです。
女性として生きるからには「凍結精子」などなぜ必要ですか?
女性と精子はある意味相反するものではないでしょうか。
もっと穿った言い方をすれば「あれもこれも欲しい。両得狙い?」と
受け止められてもしょうがないのでは・・と、さえ思います。
今はジェンダーはある意味とても守られています。
陰ではどうか知りませんが、声高に性別のことを話すと、話題にした方が
叩かれることはみなさんよくご承知ですよね。
それは、今までの彼ら彼女らの苦労と、戦いに対する褒章だと私は思っていますが
こういうことを聞くととても悲しく、そして砂を嚙み潰したような気持ちになるのです。
この行為を、なんとも思わない方もいるとは思いますが、私は受け入れらることが
できません。覚悟のない主張など、ただの「垂れ流し」としか思えません。
昔、仕事で、大学を卒業したばかりの息子さんが男性と暮らしているから連れ帰して
という依頼を受けたことがあります。
息子さんのお相手はひけ剃り跡も青々とした中年の赤いフリルのジャンパースカートを
穿いていました。その彼(彼女?)が、息子さんにお母さんを泣かさないでと言い、自分は身をひくと
言うのです。そして連れ帰った翌日、息子さんはやっぱりまた彼(彼女?)の元に帰りました。
今度はお母さん自らがそこに行きました。
そして「お願いです。どうか息子の嫁になってくれませんか。私はまだ受け入れられない
けど、息子がこんなにも思っているあなたに嫁に来てほしいと思います」と告げたのです。
お母さんは田舎で代々続いた農家の嫁です。家にはお舅さんや姑さんもいますし、親戚もあります。
その上で、嫁に来てほしいと、ひけ剃り跡のある彼(彼女?)に、頭を下げたのです。
これ、三文小説とは違いますよ。概ね事実です。
このお母さんの決意こそが「覚悟」というものだと私は思いました。
そんなこんなを見てきた、この魔女おばばには、どうしてもこのニュースの
元男性の行為が、裏腹に見えて仕方がないのです。
湯船から出た足がふらついていたのは考えすぎたせいです。。。ヨロヨロ