コロナ後
先日傷ついたわが愛車は無事帰って参りました。
ガラスの小さな傷だとかボディの細かな擦り傷が云々と言うディラーさんの言葉は
言い訳の為か自己保身の為かは判りませんが、車とは大事に床の間に飾るものでは
ありませんので、乗るだけで置いておくだけで、傷はつくものと私は認識しております。
私のもとに帰ってくれば、それでよしとまた愛するだけです。
そして見る間に世の中は「コロナ後」に舵取りしているようです。
これは、オリンピックを是か非でも開催しょうと企む人たちの思惑でも
あるのでしょうが、ワクチン接種が予定よりもずっと早く進んでいる影響なのだ
そうですね。
獣医さんから、医学生さんので動員しての接種要員と言っていたのが、「職域
接種」が叫ばれるようになって一段と加速したようです。
でも、もともと大企業には「産業医」さんが付いているわけですから、職場で接種
なんてことは誰でも気が付くことで、遅すぎる対応としか思えませんけどね。
でも東京に暮らす息子の言う事では、東京では思うほど接種に対して積極的では
ないらしいです。
初めこそ、予約ができない。電話が繋がらないと騒いでいましたが、いまは大規模
接種会場もかなりの空きがあるとか。
そういえば、私より少し下世代から、子供の予防接種に異論が出始めていましたね。
副作用を考えると、接種していいのか悪いのか・・と。
そうやって、子供の接種を思いとどまった親は多かったですよ。
そしてそうされた子が親になった時は、きっとそうやっているでしょうよ。
もちろん予防接種は自由意志ですけれど、このコロナ禍においては、自分が
罹患するより他人に移してはいけないからと、マスクをしたり衝立建てたり、
手指の消毒したり、他人と逢わなかったり、触れなかったりをしてきたのでは
ありませんか。
それがワクチン接種のこの段階になって、副作用が・・って、判らないことは
ありませんが、そこには他人への思いやりはないですよね。
自分が蒙る副作用のことだけですよね。
結局は自分本位だった・・ということ?
いいですよ。それでも。結局そうでしょと問われたら否定はしません。
でも、自社規制でお酒が飲めなくて、小売業が次々潰れて、家業を畳んでと
ニュースになるたび、コロナを早く撲滅しなければと煽っていて、この期に及んで
接種躊躇ですか?
環境が変わるたびに、その立ち位置を変える人はある特定数います。
それが悪いとは言いません。孔子様とて「誤りを改めるに憚ることなかれ」と
説いておられます。
しかし、それでもなお、今更この期に及んで、ワクチン接種は・・という人に
お聞きしたい。あなたには会いたい人はいないのか?
あなたには一緒に食事したい人はいないのか?
あなたには、触れ合ってそのぬくもりを感じたい人はいないのか?
感染者が!と、あんなに騒がれていた頃には、みんなワクチンを待ち焦がれて、
いざそうなったら、接種はねぇ・・・なんて、私には信じられない。
周りが接種したらから、もう自分はしなくても罹患しないなんて思ってる?
と、意地悪な魔女おばばはそこまで思い描くのです。
(世の中は悪と嘘とでできている・・と思った一瞬もありました)
私はもちろん打ちますよ。
自分と周りのために。そしてこれからの自由と接近のために。
お友達大勢と、がやがやと集まってご飯たべておしゃべりして、
バスに乗って、飛行機に乗って、出先でまた人に逢って・・
前にアクリル板を置いたごはんなんてもう真っ平。
人と一緒にご飯食べられないなら外食する意味はどこにある?
近しい人間と自由に会えない世界に生きて何が楽しい?
それらを打破するために、自分がいまできる準備と努力はワクチン接種
することです。
そう思って、自分の順番待っています。
だから、コロナ後に舵取りしている世の中を心から歓迎しています。
その前にオリンピックが中止になればさらにその決断を歓迎しますけれどね。。。