まだまだ青いぜ。
ぽつぽつと梅雨明け宣言を聞きますが、私の住む地方ではまだのようです。
二年越しのコロナの影響が社会に与えるダメージが、もうどうなっているのか、
誰にも定かに判っていないのではないかとまで私は疑っていますが、混沌と
矛盾とその場しのぎは、延々と続いているようです。
とくにこの時期は、第二次世界大戦の終末期と重なり、その時代の類似性に
言を重ねる政治学者や歴史学者の多いことには、びっくりを通り越して
うんざりです(・・・すみません。私ごときが偉そうに・・)
「戦争を知らない子供たち」なんて歌よりもずっと後に生まれた人たちが
戦争を知らずにいるのは当たり前で、風化させないようにと、体験談を
語り聞かせる人たちも、もうみなさん大変なご高齢になりました。
私の母も、この地の爆撃体験者です。もうとっくに黄泉の国に旅立ちましたが
彼女には彼女なりの歴史観があって、それはものすごくストレートで
判りやすかったですが、それだけに本質を衝いていると感じていました。
私も含めて、後世の人間の多くは、体験よりも知識が先にそれを得ているので
そうはいきません。
出来事のなぜと、結果を知っているからこその認識が、意識に妙な蓋をしてしまって
醒めているか、上から目線でしか、あの時代のことを語れなくなっているような
気がしてなりません。
あの当時の多くの国民は、母のように「竹槍で飛行機なんて撃ち落とせんに決まってる」と
言いながら、「じゃなぜ練習に行ったのよ?」と聞くと
「そりゃあみんなが行ってたからよ。きまりだったんやから」と言い
戦争が終わって、自由な時代になった時には、それまでのことを
綺麗に忘れたように自由と民主主義をずっとあっていたかのように
受け入れてしまう・・・これが日本国民の本質ですよね。
こんな本質的な心根がたかだか50年や100年でそうそう変わるはずは
ありません。
全共闘時代やしらけ世代、ゆとり世代と年は重ねていても、その本質の奥には
この世の中の流れに従順に従うドナーが細々とでも息づいているように思えます。
この世はなるようにしかならない・・と、諦めて過ごす日々が平和と
思い込んでいる人たちのなんと多いことよ・・(言いようが、チコちゃんみたいに
なっちゃいましたが・・)
でも私は逆らって生きていきますよ。この流れに逆らって、背いて溺れかけながも
流されるを潔しとはしない生き方を選びます。
これはもう先の見えたおばばだからこその選択です。
人には、その時々の自分の役割があります。その役割の途中では
したくてもできないことは多々あります。
それは生まれて生きて死んでいく過程では仕方のないことです。
自分の生き方の選択はその時、その時で違っていていいし、
変わって当然なのです。
人に何を言われようと、人は自分の人生に責任を持ってくれるはずが
ありませんし、持てるはずもありません。
・・・・・・それって要は、好きに生きるということ?
ならもう君は十分に、いつの時代も好きに生きてきたんやない?と
家人に問われれば・・返す言葉のない私です。。。