灰色の真心

2021年07月24日

昨夜、とうとうオリンピックが始まったようです。

私はここでかねがね宣言していたように、オリンピックの視聴はしませんが、

家人はと言えば、スポーツ観戦と名の付くものなら「赤ちゃん相撲」でも視ようかと

いうくらいの観戦好きですから、彼は見るでしょうよ。

思想も見境もなく・・・

 

私はその時のために、新刊本をしっかりと買い込みテレビが何を放映しょうとも

一顧だにすまいと心に決めておりました。

しかし・・しかしながら凡夫の愚は愚であります。

耳から入る賑やかな音には逆らえず、時折は視線を上げていたことは、間違いなく

ここに告白いたします。(・・・オーバーなとカゲの声)

 

 

君が代の声に声にかき氷を連想し、木遣りの声に「え?  昔五輪にタイムスリップ?」なんて

思ったことは口にはせず、黙々と読書に勤しんでいるフリをしていました。

ちなみに今、愛読しているのは小池真理子さんの久々の新作「神よ憐れみたまえ」

いえいえ、これは嫌味でも、あてつけでもないですよ。たまたま今がこの本であったと

いうだけのことです。

 

もう始まったのだから、アスリートには罪はないという声も判ります。

でも、そうやってなし崩しに物事が始まり「始まったんだからと・・」とそれまでの

不満と不安をなかったことにして、受け入れていたのが今までの日本人の性でしたね。

そしてそれは令和の今も少しも変わらない。

アスリートの人生を賭けた勝負であることは判っていますが、このコロナで命を落とした

人たちはもう賭ける勝負はないのです。

その人たちの命の前で「人生を賭けた勝負ですから、出ます」と胸を張って言える

アスリートなどいるのでしょうか。

 

ミクロのような記録の差に一喜一憂している彼らに、こんな状況の五輪での金メダルは

どれほどの価値があるのでしょうか。それでも金は金なのですか?

後世「あの東京五輪の金メダリスト」と呼ばれることに、記録保持者としてのプライドは

揺れないのでしょうか。

 

全世界に及ぼされたコロナ禍は、誰も止めることも、防ぐことも、退治することも

できませんでした。この二年間は。

ならば、その環境の中で、アスリートも自分の事だけでなく、周りや、社会や、世界のことを

中心に考えてもいいんじゃないでしょうか。

「スポーツは夢を与え、力を与える」

そうなんでしょう。スポーツ好きはみんなそう言います。

でも、世界中の誰もが、本気でそう思っているわけではないのです。

スポーツで夢を与えられる人もいれば、文学や音楽にそれを求める人もいる。

多様性なんて、不可思議な言葉に当てはまるなら、そのどれもが大切にされなければ

ならない時代なのに、なんでこんな時期にアスリートと呼ばれる人たちだけが

その気持ちを第一に考えられているの??

 

いや、そうではないのかもしれません。彼らとて様々な思いの中で葛藤してきたはずです。

そしてそれを乗り越えて・・いやいや

正直に言うなら、その気持ちを利用されて、ここに至ったような気がします。

 

お金と名誉と見栄が三つ巴でうごめく世界が美しいはずがありません。

もっともっと・・より早くという気持ちが判らないわけではないのです。

 

もうここに至ったのだから素直に応援しょうよと誘われても、この魔女おばばの

心の片隅の「自らの真心」がそれを拒むのです。

魔女おばばの真心ですから、真っ白な訳はありませんが、真っ黒でもないはず。

真っ白の一歩手前で、踏ん張っていたいのです。

たとえ、なんの意味もないと嗤われても、蟷螂の剣と嘲られても、もうここまで

生きていて、いまさら生き方の軌道修正はできません。。。


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