自分知らず

2021年08月12日

オリンピックが終わって、台風も過ぎて、暑いことは変わりませんが、また普通の

「いつも」が戻りつつあります。

私はオリンピックは見ないとここで宣言して、自発的に見ることは避けて

きましたが、家人は無類のスポーツ観戦好きですから、珍しく遅くまでテレビを

視聴していたようです。

凡人の悲しさゆえに、周りでそういう映像や音楽がかかっていると、本に落とした

意識も知らずにそれを拾っていることもありました。

見方によれば、ユルユルの決心でしたが、手のひら返しのように連日オリンピック美談を

流し続けるマスコミよりはよっぽど「マシ」と心密かに思っています。

 

同時に感染が大爆発して東京は4000人だの5000人だのという数字になり、これでも

オリンピックとは関係ありませんという一部の知識層のコメントに唖然とするばかり

です。

急増の日から考えれば、関係ないはずがないでしょ。

外国からだけでなく、このオリンピックのために、地方の若い警察官はワクチン接種も

ないままに警備に駆り出され、ボランティアやアルバイトも同じです。

沿道には応援のひと塊があちこちに出来て、選手の日常は、一部の人たちが

禁止事項を知らずか、無視かは別にして、規則破りの外出を続け、こんなことが

日々続いている上での感染拡大です。

関係ないとなぜ言える?・・・そんな疑問を待つ私がおかしいのか?

 

そして政府の目論見通り「始まってしまえば歓迎ムードになる」は、ほぼ当たりましたね。

多くの人たちは、無心に応援し、メダルに一喜一憂して、アスリートたちは、

その結果を悲喜こもごもに受け入れている。まるで、いつものオリンピックとなんら

変わらぬように・・・

私はこれが不思議でなりません。アスリートとはいえ、その前に「ヒト」であると

誰一人声をあげないのか。

それまでの死ぬほどの努力と練習をあなたは判らないのかっ!とのお叱りを

覚悟で問いますが、ヒトとして生きる矜持よりも、アスリートであることの方が

大切なのですか?

復興五輪だとか、コロナに打ち勝つ五輪だとか言われていましたけれど、

表彰式で、親や関係者に感謝を伝えるアスリートの声を何度か耳にしましたが、

被災地やコロナの罹患者や医療関係者に感謝や激励や応援のメッセージを

私は一度も聞いたことがありません。

時折、耳にするだけですからその他の処でそれを口にする方がいたなら

不見識を申し訳なく思います。

ただ、圧倒的に少なかったことは事実ですよね。

 

そして日本にとって決して忘れてはならない八月の歴史を、風化させては

ならないと謳いながら、この期間は押しやっていたことも私には釈然と

しない思いで持っています。

 

こんなことを思い続ける私はもう「歴史の忘れ物世代」になってきたのかも

しれないという意識はあります。

でも、誰かが言わなければ、誰にも何も残らないということを知っている

世代に自分が入ったことも判っているつもりです。

 

・・・優しく穏やかな余生とは、いったいどんなものでしょう・・と私が

ここに記すと、覗き込んだ家人が一言

「それはボクのセリフでしょ。猛獣使いの休日が欲しい」としみじみつぶやいて

います。

・・え???  ええ???

も、も、猛獣って・・誰のことなのよっ。。。

 

 

 


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