国立大学の意義

2021年10月24日

私があまりテレビを見ないせいかもしれませんが、ひところやたらと

目についた「東大卒」の芸能人が少し落ち着いてきたのかなという気がします。

ちょっと前まではクイズ番組やバラエティなどに、ずらずらと並んでいましたよね。

昔から芸能界には東大卒の俳優さんが何人かはいらしてその最たるものは「加藤登紀子」

さんかなとも思いますが、その頃の芸能人の方は、それを売り物にはしておられ

ませんでした。むしろ、それには触れられたくないみたいな、奥ゆかしい含蓄がありました。

 

ところが、クイズ番組が幅を利かせ始めたころから、出てきましたよ。

この「東大卒」の看板を表に出して、この経歴を売り物にしている「東大卒の

芸能人」クイズの問題作る会社作ったり、ちょっと物知り気なコメンテーター

だったり、経歴は立派だけどなんでこんな陳腐なご意見?なんていう科学者や

なんでも評論家たち。

 

かなり極端な意見でなんですけど(もう慣れてますという意見も、ご尤もですが・・)

東大出て、なんで芸能人になりたがるのでしょう?

「東大出て、末は博士か大臣か・・」なんて思っている訳ではないのです。

むしろ逆・・・

 

国立大学として、どこよりも多くの公的資金や寄付を受ける大学に入学して

卒業するということは、その先は自らの能力を国の為に生かすということでしょう。

その意味では、昔の東大生はある意味偉かった。

官僚になったり、政治家になったり、その結果はよしとは言いませんが、国のために

尽くすという大義名分は持っていました。

かつての学生運動では世論のオピニオンリーダーとしても十分なことを言い、やって

いたと思います。その正偽はともかくとして、自分の損得だけを考えていたことは

なかった。少なくとも出発点は・・です。

 

ところが、近年は、東大に入るためには親の資金力が欠かせない。そしてつぎ込んだ

資金を回収するかのように、東大生たちは国家に奉仕する道を捨て、自らの利益の

追求に走る輩のなんと多くなったことか・・

IT関連しかり、金融関係しかり・・そして芸能界です。

 

利益の追求を否定はしませんが、あなたたちが親の資産を元手に東大に入ったことで

貧しくてなかなか勉強の時間がとれない子や、辺鄙なところに生まれ育った子、

母子家庭(みなさんが貧しいと思っている訳ではないのですよ。これは言葉のあやと

いうものです。ご理解ください)の子。環境的に勉強だけをするわけにはいかない

子・・・

結果的に、そんな子たちの学びの機会を圧し潰しているのですよ。

多くの後者の子は、学ぶことでその環境から抜け出すことができるかもしれないと

考えるでしょうし、そうやって学ぶことで社会に出ると、それを社会に還元する

ことを考えられるでしょう。

 

もともと国立大学というものはそういうものであらねばならないのではないですか?

そして国は、そういう社会に還元できる人間を作るために、もっともっと教育に予算を

つぎ込むべきです。より多くの、より広くの人材を確保するために・・

 

そして、自分の利益だけを求めるためだけに大学を目指す輩は、私立大学に行きなさい。

塾も予備校もいかなくても、お金さえたんと積めば、私立大学の門は広く開きます。

そして、そこでは「いかにお金儲けができるか」を学びなさい。

もともとの資金はあるのです。有意義な人間関係と、お金リサイクルを学べば

いいではないですか。

 

お金持ちが、お金の力に任せてよりよい場所を得ようとするから、ビンボー人には

与えられる場所がないのよ。

人のために、社会のために働く人間は、お金を儲けようとする人間とは別の次元で

学ばなくては不公平だと私は思っています。

貧富の差は如何ともし難いですが、せめて学ぶという人生のスタートは、できるだけ

その差がないようにと、魔女おババは祈らずにはおれません。

 

「でも、大学受験の段階で、もう遅いんじゃない?」と家人は言います。

貧しかったり、虐待受けていたりする子の多くは、もっと前の段階でもう教育と

いうことから見放されていると言うのです。

 

そうかもしれません。

魔女おババごときの浅知恵がなんの力もないことはよく判っています。

でも、言わずにはいられないのです。

テレビを見ながら「東大も美人がおおくなったよね。」なんて、

嬉し気なあなたを見ていると、言わずにはおれなくなるのです。

日本はやっばり・・・だめになる。。。

 

 

 

 

 

 

 


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