祈念
11月に入ってからは良いお天気が続いています。
一年もあと僅か・・ほんとに一年って早いですよねぇなんてため息ついていたのは
過去のこと。今はもうそんなため息の時間さえ勿体ない。
やりたいこと、やり残しておきたくないことが多すぎて、どれから手を付けようか
迷いながら、いや迷っている間なんてないわよっ!と、自分を叱る自分がいるのです。
もうこうなったら、思いつくまま何からでも手をつけて、やれなかったり、思った
通りでないと思ったりしたら、さっさと諦めて次にいく・・これが一番私らしいと
思い至ったのでありました。
・・・わざわざ思い至らなくても、君のこと知っている人はたいていがそう思うよと、
隣で囁く声は無視しておきます。
紀子さのお父様が亡くなられたとニュースが流れていました。
お倒れになって容体が漏れ聞こえない、皆様がお見舞いに行く・・これは
よい方に向っているはずはないだろうと推察しておりましたが、やはり
こういう結果になってしまいました。
真子さまがご結婚されての前か後かは忘れましたが、夫君と一緒にお見舞いに
寄られたとニュースがありました。
川嶋教授はどんなお気持ちで、彼のお見舞いを受けられたのでしょう。
洩れ聞くところによると、とてもやさしく上品にウィットに富んでいる会話を
なされる方とかですから、意識がおありだったと仮定して、きっとご自分の本心をそのまま
ぶつける・・なんてことは、なかったのでしょうね
私はヒトはいつ死ぬか判らない。そう思っておりますから、家人には私の希望を
伝えております。
私がもう最期で人事不省に陥ったら、枕元に、あなたと息子と娘だけにして。
他の誰も呼ばないで。孫たちも親戚も、もちろん娘婿もいらない。
私は、自分の最期に「本当の自分のままで死にたい」
そしてそれは他人には絶対に見せたくないと伝えています。
いままで意地と見栄で生きてきた自分を最期の最期で解放してやりたいのです。
周りはあなたはいいよね。自由に生きて」とよく言いますが、
こうして意地と見栄を堅持して生きていくのは案外辛いことも多いのです。
泣き言を我慢することもあるのです。うそっ・・と思わず声が出たのは
隣で見ている家人です(怒)
そんな自分を死ぬ時くらいは解放してやりたいなと思うのです。
でも、それでも絶対にこの三人以外には見せたくない。これが最期の抵抗です。
そして翻るに、川嶋教授です。
ああいうお立場の方は、最期の時どうお振る舞いになるのかと考えると、
なんだかお気の毒になるのです。
もちろん人間としての根幹が違いますので、それはそれでご自分の生と死を
全うされるのでしょうけれど、「君はこなくていいよ」とは、毛ほども思われないのでしょうか。
「君には会いたくない」と露ほども思われないのでしょうか。
罵倒して、蹴り倒してなどは思いませんが(病床なのでそれは当たり前なのですが)
真子さまの夫君には、彼女のお身内のそうした剥き出しの怒気を、見たことも感じたことも
ないので、あの鈍感力がゆるぎないのではと、思ってしまったりしたのです。
自分と比べるなど、なんとおこがましく畏れ多いことでしょう。
ただ、嫁いだ娘のそのまた娘のことで、深く傷ついたであろうわが娘を
案じながらの旅立ちであっただろうとは同じ、子を持つ親として、
推察申し上げます。
いまはただただ、川嶋教授のご冥福をお祈りするばかりです。。。