静寂
私が箱根を満喫している間に、巷では中学生の悲惨な事件があったようです。
ニュースによれば、14才の中学三年生同士が争って片方が刃渡り20センチの刃物を
用意して相手を刺し、結果出血死させてしまったとか。
世に「魔の14才」と言いますが、あれは本当なのかもしれないと、背筋に冷たいものが
伝わりました。
かくいうわが娘の長男も今月はじめに14才になったばかりです。
省みましてわが子は・・と思えば、たまたまその時一緒にいた息子に尋ねると
「お前がいじめに加担してたと知ったらオレはお前を殺す」と父親に言われていたそうです。
私は息子と娘に、あなた方がもしいじめで命を無くすようなことになったら、そのいじめた側を
私は一生許さない。死ぬまで付きまとって、ぜったい幸せにはなれないようにしてやる。と、
言っていましたが、亡夫はさすがです。
被害者だけでなく、加害者になった時の楔もしっかり打ち込んでいたようです。
私と亡夫は、子供に嘘をつくなと教える以上、親も本気であることを教えなければならないと
信じていました。
ですから我が家の子どもたちは、「うちの親は本気だ。やるといったらやる」と信じていた
ようです。もちろん私の言葉に嘘はありません。
夫はもう亡き人ですから事の真偽を確かめる術はありませんが、あの性格して、それは本気で
あったに違いないと私は思っております。
それが足枷になったか、抑止力になったかは今となっては判りませんが、後になって
いろいろ話を聞いてみると、いじめというものはどこでもどの学年でもあった。
いじめる側になったこともあれば、いじめられたこともある。
でも、それをなんとか交わしていくと、普通の生活がまた戻ってきたんだよ。それが
多くのその時の子供の実感だよと息子は言います。
そうなのでしょう。彼の時代は例の「酒鬼薔薇事件」の真っただ中で、世間が「魔の14才」と
呼んだ時代でした。
うちの子に限って・・なんて言葉が信じられない時代で、いちでもどこでも誰でもが被害者になったり
加害者になったりしていた事件が連日ニュースになっていたような気がしますが、あれも
思い返せば「酒鬼薔薇」君があまりにセンセーショナルで連日の彼の報道が、多くの14才と混同していたのかも
しれないと冷静になってからは思いました。
しかしこの世代が、とても繊細で思い込みが激しくて未熟であることは、どの時代も同じのようです。
自らを遡っても、そうであったと思います。
周りと自分を比べてみて、自分の自尊心の高さに自分が押しつぶされそうになる時です。
人と比べて、未熟であるとは思わず、それを誰かの、何かのせいにして、自らの不運を嘆き
世の不公平に唾棄する世代です。
世の多くの子供たちはここを乗り越えて大人になっていくのです。
20才を過ぎても、大人に見てもらえず、30すぎても洟垂れ扱い、40で小童・・
じゃいつから大人だよ? と、突っ込みたくなる時代を経て、自分が自分であることを
受け入れていくのです。
年を経ないと判らないことは、世の中に数多あります。でも、それはどう説いても
記述してもダメなのです。年を取るという時だけがそれを理解させて身に付けさせてくれるのです。
そんなチャンスをみすみす無にした子供は不幸です。
被害者も加害者も、その時に自分を消失させてしまったのです。
その消えた足跡を見続けていかなければならないことは、親にとってどれどの
苦痛と悶えの苦しみでしょう。
いままでの自らの行為のひとつひとつを、乾ききっていない瘡蓋を剥がすようにして
もう一度血と膿を流しながら検証する毎日を送るのはどれほどの苦しみでしょうか。
そのことを考えていくと、やすやすとと思った子育てが、本当は奇跡的な幸せと幸運の
上にあったものだとよく判ります。
こんな日は、すこし優しい本を開いて静かに夜を過ごしましょう。。。