もういくつ寝ると・・・
先日、年賀状云々と書きましたが、書いて思い出した以上はもちろん書きますよ。
そして今、書き終わりました。
最盛期には200枚ほど書いていた賀状もなんやらかんやらで減り続け、いまは50枚そこそこ。
まずは喪中はがきを確認して・・あれ、今年は彼女のご母堂や、彼の細君の訃報にびっくり
したのに、喪中のはがきがきていない。
そうなのか。
世の中の動きはもうそうなっているのか・・
喪中はがきというものの存在が忘れられている。
この世は生者のものではあるけれど、死者の行き場はどこにもないのか。
この秋に、義母を亡くした友人が「私は一応、喪中欠礼するけど、娘には言ってないの。
あの娘らは、あの娘の交友関係で判断すればいいって言ってるのよ。」と言った言葉を
思い出しました。
私も夫を亡くした時、その死が受け入れられずにお墓も喪中も眼中にない時間を
過ごした時期があります。
死が受け入れられなかったり、その死を乗り越えたりして、新しい自分の規範を
作ることは、ある意味とても大切で必要なことかもしれないとは思います。
人の生き死には、その当人だけでなく周りの多くの人たちにも多大な影響を与えるものです。
ですから、その処遇のひとつひとつに意味があるのでしょう。
そんな風に考え始めたら、喪中はがきでこんなことを滔々と述べている自分が
とても卑小に見えてきました。
年賀状にあんなにポジティブな言葉を書き連ねたわりには、なんだこの反応は・・
そう自戒する自分が、もう一人の自分を見つめています。
人はこうやって反省するものなのですね。
さて、いまから投函に行ってきます。
商店街を抜けた郵便局の前のポストに、さっさと投函してきます。
自らの煩悩とともに。
そしてまた、元の自分に戻って、時間を過ごしていきます。
こうして、指折り数えてお正月はやってくるのでしょう。。。