指導者の資質
明けましておめでとうございます。
今年も魔女おババの毒吐きブログとお付き合いいただけたら
幸いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、めでたく年を越した私は、今年の箱根駅伝、気合を入れて見ましたよ。
昨年11月に小田原に旅した時に、箱根を通って御殿場に何度か行ったものですから、
あの駅伝コースを車で走っていたのです。
家人などは、もう大騒ぎ。年末から2日と3日はどこにも行かない。テレビ見る
宣言をしておりました。
そして当日
案の定というか、やっぱりと呆れるか・・
「あ、あの川沿いの駐車場、お蕎麦食べるとはに停めたとこだよね。小田原中継所は
鈴廣の前だよね」と。いちいち煩いこと。
「あ、あそこで道間違えたんだけどよかった。より判りやすく見れるよ。」って
誰に言ってるの??
誰もそんなこと聞いやしないって・・。
結果はご存じの通り、青山学院の圧倒的完全勝利。
なかなか見ごたえのある素晴らしい展開でしたね。ただ、毎年のことながら
あの駒〇大学の監督の怒声・・なんとかなりませんかね。
あの声を聞いているとひと昔もふた昔も前の時代錯誤の少年野球の監督を
思い出すのです。
家庭の憂さをここで晴らすか?みたいな怒声を「根性」なんて言葉に置き換えて
自らを正当化する矮小さ。
周囲の住人にとってはまさしく「迷惑音声」でしかないでしょう。
それなのに、取り扱うマスコミは「やぁいつもの大〇木監督の激励、すごいですね」
なんて苦笑いモード。
走っているのは大学生ですし、もう大人です。それを車に乗って、スピーカーの
大音響で罵倒としか思えない檄を飛ばす・・・これってどうなんでしょうね。
対して、青山学院の原監督は「選手の自主性に任せていますよ。自分で考え、実行する。
これでないと続きません」みたいなこと仰って「スマイルだよ」とか「お前は凄いよ」とか称える声が
漏れ聞こえていました。
そしてそのの結果がこれなのでしょう。
駒〇大学はのちに、故障者が多かったのが敗因と語っていましたが、それも自主性という
ことの是非を現しているような気がしました。
これだけ、パワハラだとか、言葉の暴力だとかが、神経質に言われている時代に、
なぜあの暴言(あえてこう書かせていただきますが)だけが、許されるのか
私には判りません。
走る選手諸君には、すべての選手にエールと賞賛を送りますが、指導者と呼ばれる
方たちには、かなり力量と質の違いがあるようです。
どなたがとは言いませんが(いや、述べてはいますが・・)私はその比較においても
青山学院の原監督はご立派だと思います。
そして闘い終わって・・・
「ねぇ。今年は箱根マラソンの全コース走ってみようよ。あんな大涌谷なんてやめて
小涌園に泊まろうよ」と囁く家人の声に蜜の味を感じる私も同じ穴の貉です。
かくして、私たちは結局似た者同士ということなのでしょう。。。