いつまで続く・・・

2022年01月22日

もう聞き飽きた「緊急事態宣言」。

緊急と冠詞が付くけれど、これだけ頻発乱発していたら、有難味がなくなりそうだと

思うのは私だけ?

このブログでも何度書き綴ったか判らない「コロナ禍」

本当にいつ終わるのでしょう・・

 

私は不思議でたまらないのは足掛け三年になろうかとしている今だ、過去の緊急事態宣言の

効果と実績が検証されてないことです。

これだけなんども宣言を繰り返して、去年の渋谷の人出や、先週の新宿の人出を

携帯電話から読み解いて、何パーセント増えたとか減ったとか、病床使用率が何パーセントとか

言っているのに、コロナが急に拡大した理由も減少した理由も原因も、俗にいう有識者さんたちは

判らないという。

もう二年ですよ。専門家組織として感染対策の頭脳が集まって、ミクロもマクロもいらっしゃーい

なんて言いそうなAIがいろいろなデーター出しまくって、亡くなった某歌手の人形まで

作っちゃって声もビジュアルも再現している時代に、こんな急を要する、世界中の人たちの

困窮と健康が脅かされている事実の前に、なんの分析もできないなんてことが

あるのでしょうか。

 

私は、もしや分析しないのではなくて、したけれど国民に発表できないことでも

あるんじゃないかといわゆる下衆の勘繰りという言葉を思い浮かべました。

そもそもすごく単純に考えて病床使用率30何パーセントってなに?

使用率が30パーセントということはあとの70パーセントは空き?

もっともらしい口実つけて逼迫していると世間は騒いでいますが、それは

どこかに患者さんたちが押し寄せているからであって、本当に感染症対策のできた

病床はまだまだ使われずにどこかにあるのでは???

 

もしものためよ。そのために満床にするわけにはいかないとしたり顔で説明する

おじさんにお聞きしますが、今はそのもしもの時ではないの?

そのもしもはいつ??

私の父もよく言っていました。もしもの時のために我慢しておかないと言うときに

言えんと・・でも、そのもしもはいつ?

もしもがこなかったと言うならばそれでよしでしょうが、抜く抜くと言いながら抜かない

伝家の宝刀はただの竹光です。

ここで手の内晒して言えばいいじゃない。ここで全力だして戦おうよ。

ここで全力ださないで負けたら悔しいだけじゃない?

 

私は自分の生き方のモットーを「やらない後悔よりやって後悔を選ぶ」ことにしています。

ですから、もしもの時なんてないのです。

いつも全力投球。言い換えればいつも「もしも」なのです。

そんな私が見ている今の日本のコロナ対策は、言い訳と保身と逃げ腰の集団にしか見えないのです。

自分で自分のことが決められずに、数値や言葉で容量を決めてもらわなければ

動けない若い人たちが案外多いことにも、ちょっとびっくりです。

自由奔放に生きろとは言いませんが、もう少し知性と理論を明日のために

想像力として働かせてもいいのではないかと思ったりするのです。

こんな、感情とおもうがままの行動で生きている、わがままな魔女おババでさえ

そんな風に思っているのです。。。

 


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