休日
春の三連休はいかがでしたか。
中日に仕事で高速を走りましたが車の量は多く、県外ナンバーも三年前と変わらない
気がしましたが、それは私だけの思い過ごしでしょうか。
お彼岸なのでもちろん墓参りにもいきました。
いつかは私も彼岸には行くのですが、まだ一応は此岸にいる身としての作法と思って
行うことにしています。(そもそも私は無宗教の無信心ですので・・)
自家の墓と、もうひとつ親戚の墓にも参ります。こちらはもう魂抜きもして私の大伯母の
夫の墓に入れ替えてはいるのですが、亡き母の従兄で亡き父の同級生だった人の
墓です。
彼の人はいわゆるシベリア抑留で亡くなったので、遺骨は帰らず骨壺には石ころがひとつと
母はよく言っていました。
線の細い文学青年だったようで、お転婆な〇子さんと母のことをたしなめていたそうですが
確かにそんな青年は母とは合わなかったでしょうね。
なんたって母は、今でいう「筋肉少女」で近所の男の子たちで泣かされなかった子は
いないという逸話のあるぐらいの筋金入りですから。
今この時期にそれを思い出すと、墓石に刻まれた「陸軍兵長 〇井〇〇 二十歳
昭和20年8月17日 牡丹江某所於没」と読める文字が時を越えて来そうな気がします。
もちろん私は逢ったことはありませんが、いまでも時々新聞にシベリア抑留者の
没地と氏名が判明などという記事を読むとそこに彼の人の名前を探します。
母も父も大伯母も亡くなった今は、その人の名を探してあげられる身内は私しかおりませんから。
墓石に没場所を記したのは大伯母のせめてもの反戦だったのでしょうか。
そんなことを考えながら自宅に帰ると友人夫妻がすでに午後の仕事のスタンバイしておりました。
我が家のことながら、肝心の本人たちは仕事じゃ、墓参りじゃと私事を優先させ、任せっぱなしと
いえば聞こえはいいけれど、放りっぱなしにしてどういうことよと詰め寄られても当然の日々を
送っているのに、長年の友人とは有り難いものです。
あなたはそういう人よの一言で納得してくれるのですから・・感謝
そしていよいよ作業は佳境に入り、今日は板の下塗りです。合計二十何枚かを重ねてある床板の
四面ローラーで塗ります。言うのは簡単ですが、これがなかなか難しい。
液をたくさん付けすぎると垂れてきてそれがそのまま板目に出ます。垂れないように薄くすんなりと
塗るのは思ったより大変。
アメリカ人って案外器用なのね。外壁みんな塗ってるもんねと私が言うと、友人夫が
「あれはそんなに綺麗には塗ってない。でこぼこやしムラ塗。この方がずっと綺麗」と
気持ちのいいことを言ってくれます。
結局、役に立ったのか、己の自己満足のために邪魔をしただけなのか判りませんが
(なぜならその後の残った2/3以上ある板を私と友人の塗った半分の時間で友人夫と
家人は塗り上げてしまいました。)ともかく私は満足です。
あともう一度塗りがあって床板を打ち付けたら最後にもう人塗りあるそうですが、私はもう
これで十分満足です。
これで、ここは私が作ったのよと、自己完結できるでしょう。。。