死生観

2022年04月05日

桜はあっという間に咲き誇り散ると思っていましたが、種類も様々な桜が案外長い期間

咲くものだと最近はしみじみ思います。

「さくら」という括りでは一緒ですものね(笑)

ひとつ年を経るたびに、もうどうでもよくなることは多いです。

こだわりは私の特性のひとつですが、その範囲が広がったり狭まったり

その時々に応じて、変形するのです。もう自由自在に・・(笑)

これはなかなかにラクな生き様で、こうして年を取るのもなかなかのものです。

 

ただ、少し困るのは自分の死生観と人様の死生観は若干の違いがあり、

多くの人は、私の考えをなかなか理解していただけないことです。

かつては人並みに冠婚葬祭という世間の嗜みを守ってきましたが、一度夫を亡くした時に

それを全部捨てました。

世間の習わしではなく、自分の気持ちのままに従っていこうと・・・

ですから、他人様から見たら礼を欠いていると思われることもありますが、

もうこの年ですから、そういう世間の眼を気にすることはやめました。

もともとマイペース、はっきり言うなら身勝手な人間ですから、古くから

私のことを知っている人たちは「ふんふん」と、同意しないまでも、気持ちは尊重

してくれます。

そんな私に家人が聞きました。

「余命宣告されて死ぬのと、突然に死ぬのとどっちがいい?」

 

「どっちでもいい。」私は即答できます。

一時期は余命宣告されたら、いろいろな準備ができていいかもなんて

思ったこともありましたが、どんなに準備しても思い残すことはあります。

だとしたら、悩む時間が長いより、そんな時間などない方がいいかと

思ったり、急だとあとの者が困るかなと思ったりしたら、どちらにしても

おんなじか・・と、思い至ったのです。

家人はいろいろと考えていました。

もちろん人はそれぞれの死生観があるでしょう。

それぞれの考えを尊重し、できるかぎり応えたいとは思っています。

だから、私のものは私の考えとしてそっとしておいてほしいと願う

ばかりです。

 

もうすぐ4月8日。花まつりですね。

お釈迦様のお生まれになった日だそうですが、私の母の誕生日でもあります。

この日になにをするわけでもありませんが、母の年を越えた時から

自由に生きられる幸せを思い返すようになりました。

こんな夜中にブログをこうして認められるのも、私の自由です。

幸せです。。。

 

 


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