ご依頼者の声

ただ見ていたいと仰るS・Aさん(43才)

23年も前のことですから、忘れたほうがあなたのためだと人には何度も言われました。
そうしょう!と思ったこともありました。
でも、やっぱりどうしても、忘れることなどできるはずがありません。
どんな理由があったにせよ、私は子供を四人置いて、婚家を出てきたのですから・・

若気の至りといえば、そういわれても仕方がありません。高校在学中に夫と知り合い、退学して結婚。妊娠しました。私も夫も決して遊び人などではなく、むしろどちらも初めての経験からしてしまった事でした。
いわゆる「できちやった婚」をした私たちに授かったのは男と女の双子でした。
農作業に従事する舅と姑は、厳しい人でした。私が夫を誘ってでき婚などした。夫は真面目な子なのに世間体が悪いのは、全部私のせいだと、事あるごとに罵られる毎日でした。

夫は真面目な自動車修理工として、寡黙に日々を過ごしていますが、私の悩みや苦労を知ってか知らずか、労わりの言葉などかけてもらったことはありません。

そんな私が、次の妊娠をしたのは翌年。はい。無知といえばあまりに無知でした。
しかも、またまた双子です。こんな確率は世界でも珍しいと、産科の先生も驚いていましたが、出産後の我が家は、それはそれは大変なありさまで、年子の双子が四人です。

毎日、どの時間も誰かが泣いている・・・そんな日々が続き、私はろくに寝ることもできず、フラフラと夢遊病のような毎日を送っていました。
そして、ある日のことスーパーに買い物に行った私は、ぼんやりとした頭で支払いを済ませ、自宅に帰ったところを、追いかけてきた店員さんに、お金を支払っていないと糾弾されました。
正直、本当に払ったのか、払っていなかったのかは覚えていません。
それぐらい、当時は疲れ果て、日々眠くて、眠くて仕方ありませんでした。
私はまだ20才前でした。

しかし、このことが姑の怒りに触れました。
ふしだらな結婚して、この家に泥を塗ったばかりか、今度は泥棒までして恥の上塗りし
おって、こんな恥さらしの嫁はいらん!と、烈火のごとく罵倒され続けました。それからは、日々箸の上げ下ろしから、襖の開け閉めに至るまで毎度、叱られぬ時はありませんでした。もっとも、私も生来が愚鈍で、しゃかしゃかした姑さんの気に入られるはずがないのです。

見かねた夫が実家の母に連絡して、私を引き取りにきて、私達はそのまま離婚することになりました。
泣き叫ぶ四人の子供を置いて、私はそのまま婚家を出て、今に至ります。

田舎ですから、婚家の噂は絶えず耳に入っています。
しっかり者のばあちゃんが四人を立派に育てて、今も6人で幸せに暮らしているとのことです。
私はやっぱり、あの家にはいらない嫁だったということでしょう。

それでも、たとえ僅かでも、自分で産んで育てた子達です。忘れたことなど一度もありません。でも、どうしても、どうしても、会いに行くことはできません。今でも、私は怖いのです。あの時の姑の罵声の数々が・・
夢の中でも私を追ってくるのです。そして、子供たちもそれを口々に言い立てて、私を追ってくるような気がして、名乗れないのです。

だから、そっと知られずに、あの子らの様子を調べて欲しいんです。写真が欲しいんです。
私はそれだけで満足です。


そんな私の願いは叶えられました。
私が見たくて見たくて、たまらなかった子供たちはもうそれぞれが「大人」になって
いました。相談員さんがSさんに似てますねと、言ってくれた時は、嬉しかったです。

それから半年たって、じつは夫と再会しました。本当に偶然だったのです。
夫は相変わらず寡黙で、家のことは何も言いません。でも、それからほぼ週に一回
私たちは逢うようになりました。
逢っても何も話しません。「おはよう」と「いい天気やね」くらいです。
私からいろいろ子供のことを聞いたら、この関係が崩れるような気がします。
寡黙な夫が姑に内緒でこうして私と会う時間を作ってくれている。これだけで満足できるのも、子供たちの現在を私が知っているからだと思います。

こうして夫と、初めからのように時間を繋いでいったら、いつかはまた子供たちとも話せる日がくるかもしれません。
以前の私なら待てなかった時間も、今はゆったりと待てるのも調査したおかげだと思っています。

夫に帰ってきて欲しいと心から願っています・・というN美さん(39才)

夫は優しい人でした。5年前に仕事先で知り合ったとき、私はバツ一で
子供もおり、独身の夫とは付き合うことすらないものと諦めていました。
でも、そんな私に声をかけてくれ、親戚中の反対を押し切って結婚してくれました。
もちろん、子供も養子縁組してくれました。
子供は夫に懐いていました。・・・幼い頃は・・
子供が小学校の高学年になって、難しい年頃になったせいか、徐々に夫と子供の
仲が悪くなっているような気はしました。

それが突然「別れてくれ」と、言い出されたときはは、本当に天地がひっくり
返ったのかと思いました。
言葉の意味が判らず、返事もできない私に、夫は「来月出て行く。この家は
お前にやる。慰謝料も払う。だからすぐに離婚届けに判を押してくれ」と
迫りました。
この家と言ってもここは賃貸のマンションですし、夫に出ていかれたら
私のパート収入だけでは、生活していくことができません。
そして、何よりも私は夫のことを心から愛しています。

私は必死で理由を聞きました。

私の性格が悪いとか、夫の両親と上手く付き合えないとか、子供のことばかりで
妻の務めを果たしていないとか、子供が自分に懐かなくなったとか、いろいろ
挙げていましたが、とうとう最期に
「好きな人ができた。だからもうお前とは暮らせない」と、吐き出すように言いました。

私は突然暗い谷底に突き落とされたような気がしました。
深い深い、底なしの谷です。落ちても、落ちてもたどり着くことがありません。

その日から、私の谷底に落ちる夢は、毎夜続きました。

そんな私のことを心配した実家の親が、子供にいろいろ事情を聞いたようで、
そこで初めて、私は両親に夫のことを告げ、驚いた両親といろいろ考えあぐね
相談電話をとったのです。


相談員さんは、私の脈絡のない長い、長い話をじっと聞いていてくれました。
そして、私が、何があっても離婚はしたくないと決意を告げると、大きく頷いて
くれました。
「私達は、あなたがしたいということをする為に、今ここでお話をおききしています。
何ができるか、どうできるかは私達に任せてください。」
・・・・・・・その一言で、私はやっと暗い谷の底にたどり着いたような気がしました。
もう、落ちなくてもいい。これだけで、私の気持ちは、生き返ったのかもしれません。


その後の調査で、夫は女と何回も逢っています。しかも、女も既婚で子供が二人います。
その上、夫は女と逢うたびに、百万単位のお金を、預金から引き出していることも判り
ました。
女に渡しているのか、女との生活の準備なのか、わかりませんが、事実かがひとつ
づつ判るたびに、私の心は、ざわざわと騒ぎます。
許せない・・・許せない・・・許せない・・・・・・・・


そう思いながら、一方で、彼は女に騙されている。目を醒まして!・・・私のところに
帰って来て!と、叫ぶ私がいます。
私は、二つの私の間で、右往左往して、自分がコントロールできなくなりそうでした。


そして、そんな時、いつも相談員さんに電話をします。
夜となく昼となく・・・・
どんなときでも、相談員さんは、いつまでも私の話を聞いてくれます。
時には、叱られることもありますが、私は話を聞いてもらえるだけで、自分が
救われていることを実感するのです。

あとで、判ったことですが、私の両親も何度も、相談員さんに電話をして話を
聞いてもらっていたようです。

今は、浮気の証拠もしっかり取っています。私は、夫と暮らしたいという希望を
捨ててはいません。
そのために何ができるか。どうすべきか。子供とはどうするべきか。
こんな話をできる人は、他にはおりません。

私が、自分自身で最後は決めなければならないことは判っています。
でも、今なら、私はその決断をできるとおもいますし、後悔もしないと思います。
長い時間はかかりましたけれど、私は夫を取り戻します。

60年前の恋人の現在を知りたかった W・M(81才)様

私は今年、81才になります。15年前に妻を亡くし5年前には頼みの
長男を亡くしました。幸いにも家業を長男の子が継いでくれているので
傍目には悠々自適に見えるようですが、淋しさは心の中で段々に大きくなる
ばかりです。
そんなある日、いつも昼食を作りに来てくれるヘルパーさんが楽しげに
鼻歌まじり作業をしていました。どうしたのかと尋ねると、昨日同窓会が
何十年ぶりかで昔の友達に会った。初恋の彼ともね〜と、冗談交じりですが
嬉しげに言うのです。

その話で、私の胸の奥に仕舞い込んでいた「思い出」に火がつきました。
もう、60年以上も前のことです。
当時、専門学校生だった私は、年老いた祖父母の家に、親からの用事を
頼まれ行った時に、その近所に住む女子学生に一目ぼれしてしまいました。
自宅近所ならまだしも、祖父母の家ですから、なかなか次の機会がありません。

それでも、1年かけて相手の名前と住所(と、行っても所番地までは聞けません。)
までは判りました。
そして、時々会うだけの交際が一年続きました。
彼女は卒業する年になり、私との交際をどうするかということになりました。
私も若かったのです。
彼女の気持ちを試すつもりで、親に縁談を進められていると告げました。


それで、私の初恋は終わりました。

その後何度もいつもの待ち合わせ場所に行って見ましたが、彼女を見ることは
ありませんでした。

しばらくして、本当の見合い話が出て、今の家内と一緒になりました。
なかなかよくできた女で、苦労もかけましたが、幸せな家庭を築いてくれました。
早くに亡くしてしまって、もっと幸せにしてやればよかったと後悔はしています。

家内にはもう何もしてやれませんが、私があの時嘘をついて交際を絶ってしまった
彼女が今幸せでいるかどうかは知りたいと思うのです。
もしかしたら、死んでいるかもしれませんが、生きているならどう暮らして
いるのか、知りたいと思うと、たまらなくなりました。

そしておそるおそる電話を取って、相談することになりました。

彼女は地元の資産家と結婚していました。子供も二人。ただ、夫は去年亡くなって
大きな屋敷で、一人暮らしなのだということです。
彼女が自分の畑に日毎、手入れに行っていることは知っています。
それも、調査員さんが調べてくれています。
相談員さんは、逢いにいかれませんか?と、聞いてくれますが、私は
もうこれで十分です。
彼女が幸せな結婚をして、子供に恵まれていたならそれだけでいいです。

また少し時間がたって、彼女に逢いたくなったら、その時は逢いにいく
かもしれません。
そんな私の我儘な言い分を相談員さんは黙って聞いていてくれました。
そしてその時には、また協力してくれると言っているので、私は
安心して、自分の気持ちが固まるのを待っています。

娘の結婚相手が・・・S・N(59才)様

三姉妹の末っ子ですから、我儘に育てたといえば、そうかもしれません。
でも、上の二人が県外に嫁いで、私達にはものこの子しかおりませんでした。
夫は家業の跡継ぎで三代目です。
その跡はみんな女の子なので半分は諦めていましたが、それでも
できることなら誰かが・・とは望んでおりました。
そのことで、私が姑から責められるのを目の当たりにした娘は
「自分が継ぐ」と宣言してくれました。
いい娘なんです。

そんなあの娘がこんな男に騙されるなんて・・・
私は報告書を前に愕然としました。
無理もありません、三女の結婚相手のことを、少しでも知っておきたいと
決心して調査をしたのです。
反対するつもりも、あら探しするつもりもありませんでした。

それが・・・報告書を捲ると・・


相手の男性はなんとばつ2。
しかも、原因はどちらもDV。二番目とは一番目との婚姻中の不倫でした。
もちろん三女は知りませんでした。

私は報告書を持ち帰り、三女に見せました。
三女は、はじめは信じませんでした。
でも、冷静になって考えてみると、思い当たることはある・・・と、言った
のです。

しかし、それでも三女は男のことが諦められません。
言い訳をするために誘う男を断れないのです。

私はどうすればいいのかと、再び相談員さんに聞いてみました。
恋の病はなかなか治りません。
でも、放置すればどんどん悪化します。
これから、親はどうすればいいんでしょう?

相談員さんは、決して楽観的ではありませんが、それでも心強く
様々なアドバイスをしてくださいました。
親子関係は親子で修復していくしかありません。
でも、当事者の親子には解決の糸口が見つけられないのです。
そんな時、一歩離れて豊富な体験の中から言葉を探してくださる
相談員さんには感謝しています。

時間はかかるかもしれないけれど、それまでずっとお付き合いしましょうねと
言ってくださる言葉が、今の私達の親子の絆です。

妻の家出調査のご依頼をいただいた S・K(49才)様

年の離れた嫁(29才)だったので、私の両親からも反対された結婚でした。
でも、結婚して8年。子供三人にも恵まれ、ようやく家族として違和感がなくなったと
思った矢先の嫁の浮気でした。
相手は嫁よりも7才年下の大学生でした。
最初それを知った時は、正直頭に血が昇るのが判りました。
浮気・・しかも嫁より7才年下ということは、自分より27才下ということです。

最初は許しました。
もう二度としないという二人の言い訳を受け入れたのです。
でも、その口の下、二回目の浮気が発覚。
そしてそれを責めるために、二人を親戚に呼び出したが現れず。
その日から嫁は帰ってきませんでした。
置手紙には、男とは別れる。でも、もうあなたとは暮らせないと書かれてありました。

私は脱力感と虚しさで一杯でした。両親はカンカンです。
嫁の母親を問い詰めましたが、暖簾に腕押し。のらりくらりの対応しかしません。

三人の子供に泣きつかれて、調査を依頼することを決めました。

状況を聞いた相談員さんは、自分が為すべき事をまず教えてくれました。
情報を誰に開示するのか、誰に開示しないのか。
嫁の家出で、一種パニック状態だった自分は、ここで気持ちの整理をつける
ことができました。
初めは半信半疑のこともありましたが、相談員さんの指示は、的確でした。
一週間目に嫁と男の居場所が判りました。
けれど、自分の最初の判断ミスでそのことが洩れたらしく、二人はなかなか
その場所に帰ってきませんでした。
焦る自分に、相談員さんは余裕綽々で、応対してくれましたが、今思い返せば
失礼なことも言いました。

結局、さらに一週間後に、嫁と男が二人でいるところを、確認してその場所に
踏み込みました。
二人とも驚いて、特に男は若いというより「幼さ」が露呈したようで、見ていて気の毒
なくらいでした。

結局、離婚するしないで、ずいぶん揉めましたが、その間も相談員さんは、いろいろ
相談にも乗ってくれました。
「あなたがしたいということを応援するのが私の仕事です」という言葉に嘘はなかったと今はしみじみ思います。

嫁は今、仕事をやめて自宅の畑を手伝っています。
子供らが帰ると、「おかえり」と笑顔で迎え、自分が帰ると手を降って合図を
送ってきます。何もなかったかのようなふりが、ちよっと不満でしたが、それも
彼女なりの反省と愛情表現と、相談員さんに言われると、そうだなと納得でき
ます。
自分は、もう嫁の家出はなかったことにして生きていこうと思っています。

娘の結婚相手の調査をいただいた O・M(51才)様

大阪で一人暮らしをしている娘(21才)が、真夜中に泣きながら電話をかけてきました。
娘には交際相手がいて、、その人の子供を妊娠していました。
それで、親に挨拶せんといかんと、相手が言って、一ヶ月前に逢ったばかりでした。
電話の内容は、その相手から一ヶ月なんの音沙汰もないというのです。
我が家に挨拶にきて、二人で大阪に帰って、そのまま音信が途絶えたというのです。
確かに、見た目は金色に近い茶髪で、おかしな敬語を使う子とは思っていましたが
それでもこんな時代に、妊娠させたから親に挨拶というのだから、そうへんな子では
なかろうと、私も主人も、好意的に見ようとはしていました。

娘のところに行って、話を聞くと、二人で大阪に帰る途中、いろいろ話をしたところ
どうも、今まで言っていたことと違うことが多々あり、それを問い詰めると、途端に
いやそうな顔をして、黙ってしまっていたというのです。

そしてそのまま、この状態です。親として放っておけるはずがありません。
そこで、相手のことを調べてもらうことにしたのです。

結果はさんざんでした。
親の職業こそ本当でしたが、自分が職場を7回も変えていること、若いのに(相手も
21才)バツ一であること。
自分の才能を理解してくれなくて、上司と対立していると言っていたのが、本当は
無断欠勤続きで、クビを言い渡されていたこと。
近所では、いわゆる「ヤンキーあがり」と思われていたことなど・・・いろいろなことが次から次へと並べられていました。

もちろん、私も主人も結婚には反対です。
でも、妊娠している娘にどう話をするか・・・迷いに迷いました。
それでも、どう話せばいいか判らず、思い余って胸のうちを相談員さんに打ち明けました。
相談員さんは、自分も母ですからと前置きして話を聞いてくれました。

結局、娘は結婚しませんでした。

世間から「鬼」と言われようと、一番大切なものはなんですか?
その大切なものを守るためには、世間がなんと言おうと、庇ってやれるのは
親しかいないじゃないですか?と、言われた言葉が心に沁みました。

初恋の人探しをご依頼いただいた A・T (60才)様

大学時代に交際して、結婚の約束までした女性を探そうと思ったのは、自分も定年退職の年になって、青春時代を思い返したからかもしれません。
それと、学生時代はそれこそ「神田川」みたいな貧乏生活をしていましたから、社会人だった彼女に何度助けられたか判りません。

しかし、卒業前に父親が亡くなり、別れを言う間もなく自分は故郷に帰りそのままになって、気づいたときには、もうお互いにそれなりの年齢になっ ていました。
もう彼女も結婚しただろうと勝手に思い込み、自分も結婚して、子供も生まれ、彼女とのことも思い出となっていたはずでしたが、なぜか最近になって思い出してならないのです。

身勝手な言い分かもしれないけど、もしも、彼女が困っているならなんとか力になってあげたい。表立ってはできなくても、前に彼女が助けてくれた半分でも、三分の一でもお返ししたいという自分の甘い夢を、相談員さんは黙って聞いてくれました。そして、調べることになったのです。

彼女は夫を亡くし、一人で都会に住んでいました。
生活に困った様子はありませから一安心です。このまま見守ったほうがいいのか、なんらかの形で連絡を取った方がいいのか、これからまた相談員さんと話し合ってみるつもりです。

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